お上が「秘密」を持つとろくなことはないですし、とんでもない事態に陥るのが常です。最後には収拾がつかなくなるか、肥大して風船がパチンとはじけるように破裂してしまうことは悠久の歴史が証していますが、私たちのほうこそ「秘密」を譲り渡してはならぬと声高に申していたのは、いったいどこの誰だったのでしょう。 どこの誰べえが言ったかはたいしたことではないですし、お上の「秘密」の話はまた別の機会に譲るとして、そもそも「秘密」がなければ探偵小説やミステリーなどというものもないですし、そればかりか身近なところでも、やんぬるかな、と言うほかはないのですが、人が生きたり破滅したり、恋をしたり別れたり、喜び、不安、絶望、諍い、人死などなど、そのようなものすべての残滓、つまり時の残り香のようなものが漂う場所である、私たちの住んでいる町自体の持つ猥雑さをあちこちで醸し出しているのもまた、ひそかにすら語られることのない「秘密」ではないかという気がしてきます。 たしかに最近ではあちこちがずいぶん味気なくなりましたし、それはそれで悲しいことですが、いまでも歴史ある古い町の風情というものに人の心が惹かれるのも、やはり「秘密」のなせる業ではないかと思います。これは豊かさとはまた別のものです。
芸術のことを考えても、たしかに芸術はしっぽを出したか、しっぽを今にも出しかけの謎であるとして、芸術から、技法やら脈略やら意味やら出自やら色んなものを引き算していくと、それでも最後に何かが残ってしまいます。時間も場所も序も破も急も差し引いても、何かが残存してしまうのです。それが「秘密」でなくてなんでしょう。 旧約聖書のなかでイザヤという預言者が、すべてのものを殲滅しても必ずや残存するものがある、というようなことを言っておりましたが、ちょうどこんな感じかもしれません。まあ、こちらは人類の秘密にかかわることなので、話はずいぶん大袈裟になるので、やめておきますが。
いずれにしても、この麗しくも厄介なものである「秘密」がなければ、あらゆるものがとても味気のない干物のようになってしまいます。塩気も旨味もありません。文楽のような伝統芸能の場合、伝承という次元が強く付け加わるわけですから、とはいえ、そうは言っても伝統も前衛も同じようなことなのでしょうが、「秘密」の保持は命がけ、からだごとなされる、ということにならないといけないのでしょう。 今回の国立文楽劇場のパンフレットに「義太夫節の魅力を伝えたい」という野澤錦糸さんのインタビューが載っておりますが、それを読んで愚考したのですが、人に芸を教えるのが難しいのは、結局のところ芸のなかには取り除くことのできない「秘密」が隠されているからではないのか。 当然、「秘密」は黙して語らず、もって瞑すべし、なのですから、伝えることにも向いてはいません。師匠から弟子に伝えられるのはまさに「秘密」そのものなのですから、われわれ門外漢には知り得ない世界でしょう。しかしそれだけではなく、伝えることがとても難しいというのは、芸の秘密が、技芸の秘密のみならず、からだや、芸の担い手が生きた、今も生きつつある時間の秘密でもあるからではないでしょうか。つまるところ「秘密」は、聖書のような聖なる本を筆頭に、いにしえの本のなかに記された暗号のようなものでは必ずしもなく、生きて変化するものであるのではないかということになります。
『壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段』に登場する、京都五条坂にある花扇屋の傾城、つまり高級遊女である阿古屋が命と引き換えにした「秘密」は、拷問の脅しにもたじろぐことがありません。阿古屋と恋仲にあった、平家一門の仇を討たんとして逃亡中である悪七兵衛景清の居所をつかもうと、「天下の政道を取り捌(さば)く決断所(けったんしょ)」、お白州に引っ張り出されたこの六波羅の女性は、凛とした涼しい顔でのらりくらりと口を割りません。 そのあでやかさ、その勇ましさと気品と誇りは、「黒革の手帖」もとうてい及ぶところではありませんし、よくは存知上げないことですが、権力者や政治家にべたべたするばかりの、愚かな上に計算高い銀座や新地の何とかとは雲泥の差でしょう。
さつても厳しい殿様。四相を悟る御方とは常々噂(うわさ)に聞いたれど、なんの仔細(しさい)らしい四相の五相の小袖に留める伽羅(きゃら)ぢやまでと仇口に言ひ流せしが、今日の仰せに我が折れた。勤めの身の心を汲んで忝いおつしやり様、何々の誓文で、景清殿の行方知つてさへゐるならお心にほだされ、ツイぽんと言ふて退(の)けうが、何を言ふても知らぬが真実。それとても疑ひ晴れずばハテいつまでも責められうわいな。責めらるゝが勤めの代はり、お前方も精出してお責めなさるが身のお勤め、勤めといふ字に二つはない。アヽ憂き世ではあるぞいな。
オホヽヽヽヽそんな事怖がつて苦界(くがい)が片時なろうかいな。同じ様に座に並んで、殿様顔してござれども、意気方は雪と墨。重忠様の計らひとて榛沢様の今日の詮議、縄もかけず責めもなく六波羅の松蔭(まつかげ)にて、物ひそやかに義理づくめ様々と労(いたわ)りて、『サア景清が行方は』と問はれし時のその苦しさ、水責め火責めは堪(こた)へうが情けと義理とに拉(ひし)がれては、この骨々も砕くる思ひ。それほど切ない事ながら、知らぬ事は是非もなし。この上のお情けには、いつそ殺して下さんせ。
美女阿古屋は頑固一徹なままです。平家への私的な恨み骨髄である、現代でもよくいるような、嫌味な岩永左衛門が阿古屋を激しく拷問にかけろとわめくのを制して、さすが「四相を悟る」人だけあって、いまではきっと拝むことの出来ないタイプの役人であるに違いない秩父庄司重忠のきわめて独特な拷問が始まるのです。どんな風に? なんと重忠は阿古屋に琴と三味線と胡弓を弾けと命ずるのです。琴責です。面白い言葉です。 今回、桐竹勘十郎さんに見事に遣われた人形は琴と三味線と胡弓を奏でます。指さばきまで駆使して。私は舞台に向かって右手で実際に奏でられている琴、三味線、胡弓の演奏と舞台の人形の動きを交互に見ていました。音はたしかに右手から聞こえてきます。けれどもこれは極彩色の華麗な装束を纏った人形がたぶん奏でているのです。そのことにほとんどの観客に異存はないと思います。 この人形はどこでそれを奏でているのでしょう。舞台の上であって、舞台の上でもありません。人形自体の指遣いや身のこなしが見事なだけではありません。そればかりか、舞台の上の人形からは実際には音は聞こえていないとはいえ、人形と本物のほうの楽器との間に音の増幅が、一瞬ですがほんとうに起こった気がしました。人形の琴、三味線、胡弓と、実際にそこで奏でられている琴、三味線、胡弓が、合体しないまでも、幻覚のなかの二重写しのようにタブってくるのです。その間を、観客の頭を越えて音が行き来するかのようなのです。 このような効果は人形を遣った芝居にしか起こり得ないのでしょうが、そのようなことが起こり得るときには、ある意味で人形はもはや人形でなくなり、実際の演奏は演奏ではなくなる、ということなのかもしれません。不思議なことです。
話を元に戻しますと、このあっぱれな遊女がお上に弱みを見せることはついにありませんでした。現代的に言えばここが肝心なところでしょうが、権力の「秘密」に対して、ひとりの女性として、ひとりの職業人として、自分の「秘密」を対決させたのです。最後まで、最後まででないと意味がありませんが、彼女は「秘密」を売ったりはしなかったのです。 琴、三味線、胡弓、どれを奏でようとも、「秘密」は漏れ出てくる気配すらありません。阿古屋はただただ恋しい景清との別れを切なく語るのみです。高潔な重忠はこれを聞いて、遊女阿古屋に嘘偽りはなしと、この奇妙な拷問を終えるのです。なんとも素敵な裁きです。人を裁くことはできないという裁きがある、ということの一端を示しているのかもしれません。この本は近松門左衛門の浄瑠璃『出世景清』の改作のようですが、ほんとうによく出来たものだと、私のなかの近松株がぐんと上がった次第です。
三味線で── 翠帳紅閨に、枕並ぶる床のうち。馴れし衾(ふすま)の夜すがらも、四つ門の跡夢もなし。さるにても我が夫(つま)の、秋より先に必ずと、あだし詞の人心。そなたの空よ詠(なが)むれど、それぞと問ひし人もなし
胡弓で── 吉野竜田の花紅葉。更科、越路の月雪も。夢と覚めては跡もなし。あだし野の露鳥辺野の、煙は絶ゆる時しなき、これが浮世の誠なる
この誇り高き遊女阿古屋は実在の人らしく、六波羅蜜寺には、なんと阿古屋の塚と阿古屋地蔵があるそうです。かつて平家一門が邸宅を構えていたこの近辺は鳥辺野と呼ばれ、いまでもお盆のメッカのようなところですが、すぐ近くの六道の辻あたりには、平安歌人であり役人でもあった小野篁が、閻魔の補佐をするために夜ごと入ったと伝えられる苔むした地獄の井戸がひっそりと口を開けているお寺もあり、私が平安の反抗的知識人として尊敬する篁ゆかりの地ということもあって、好きな界隈のひとつでもあります。 百人一首の歌にあるように、篁もまた嵯峨上皇を怒らせて島流しにあった人ですし、このあたりには今昔物語も語っているような死や幽霊にまつわる話ばかりでなく、とても勇敢な人たちの住む場所、少しばかり哀しみのこもった勇壮の土地でもあったということになるのかもしれません。 そしてさすがに昨今では、竃で焼き物を焼く煙突の煙を別にすれば、「煙は絶ゆる時しなき」ということはありませんが、それでも鳥辺野が今も昔も死というものに現実的に縁のある、あるいは死者と生者が同居する土地であるということを思うにつけ、浮世の誠として、あまたの死は嘘偽りを制するのだと考えるならば、穿ち過ぎというものでしょうか。
この人形浄瑠璃が秘密めいた六波羅、松原界隈の話だということを知って、小野篁の地獄井戸の時もそうだったのですが、私は少しばかり驚愕させられました。どういう巡り合わせか、私もまた京都にいるときは、それもしょっちゅうなのですが、この界隈でいまも棲息しているからです。棲息している、などと勝手に言われても、これを読む人は困ってしまうでしょうが、事実なのだから仕方がありません。 夢と覚めては跡もなし、ということはまだありません、とあえて言っておきましょう。どうして夢と覚めてもこのあたりに私はいるのか? それはささやかな「秘密」だということにしておきます。きっとそのうちひと事のような顔をして、散歩がてらに阿古屋塚と阿古屋地蔵まで行ってみることでしょう。
■鈴木 創士(すずき そうし)
フランス文学者、批評家、作家。音楽ユニットEP-4のメンバーでもある。1954年生まれ。主な著訳書に『アントナン・アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子』、『中島らも烈伝』、『ひとりっきりの戦争機械』、『サブ・ローザ』、エドモン・ジャベス『問いの書』『ユーケルの書』『書物への回帰』『歓待の書』、フィリップ・ソレルス『女たち』、アントナン・アルトー『アルトー後期集成』(共同監修)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』など。兵庫県在住。
(2014年1月20日第二部『面売り』『近頃河原の達引』『壇浦兜軍記』観劇)
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