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文楽かんげき日誌

仇討ち株式会社の社畜

くまざわ あかね

「そこまでして」という言葉が、観劇中ずっと頭の中をぐるぐるしていた。「そこまでして成さねばならんものだろうか、仇討ちって」。

逃げる相手に、命は命でもって償え、と迫りたくなる気持ちはわかる。現実のさまざまな被害者遺族の報道を見るにつけ、その無念さ、やりきれなさ、持っていき場のない怒りから、もちろん実際に手を下してはいけないのだけれど、復讐なんてしてはいけないのだけれど、でも「やられたらやり返したくなる」気持ちは、痛いほど伝わってくる。仇討ちが公式に許されていた江戸時代ならなおのこと、だろう。

とはいえ犠牲が多すぎる。実際の仇討ちはどうか知らないけれど、この『伊賀越』の芝居に限って言えば、「一人の命を一人の命でもって償う」では済まされないほどに、平作しかり、鳴見しかり、政右衛門の子どもしかり、周りの善意の人たちがどんどんと死んでゆく。「仇討ち」という正義の暴走に、巻き込まれてしまっている。目的のために個人の幸せをぶち壊してゆくさまは、さながら「仇討ち」という名のブラック企業を見るようだ。悩み傷つきながらも、結果的には仇討ちにまい進してしまう唐木政右衛門は、仇討ち株式会社に勤める企業戦士、悪く言えば社畜である。

政右衛門はツンデレでもある。駆け落ちまでした最愛の妻・お谷を、突然わけも言わずに離縁したうえに女中扱い、ひどい仕打ちの挙句、新しい妻を迎えるという。しかも離縁の理由が「飽きました」って、ひどい。ひどすぎる。なんだコイツは! と思いのほか、実はすべて、お谷の弟・志津馬の助太刀をするためでした…という、「先に言うといてよ、それ!」なツンデレ具合。「岡崎の段」でも、自分を追ってきたお谷を、人の目があるため泣く泣く足蹴にするのだけれど、誰もいなくなったとたんに駆け寄って抱き寄せる。これが江戸時代の、武士の価値観なのか。だけど、妻の弟の仇討ちを助けるために大事な妻を足蹴にする、それって本末転倒もいいところやん、と現代人のわたしは思う。そしてそんな政右衛門の姿に、残業や休日出勤にあけくれて、家族と接する機会が減ってしまった現代のお父さんの姿が重なって見える。

「お父さん、今度の運動会来てくれる?」「すまん。その日会社に行かなあかんねん」「えーっ、この前も一緒にUSJ行こう、言うてたのに仕事で行かれへんかったやん」「ごめんごめんまた今度な」…家族を養って幸せにするために、子どもの学費を稼ぐために働いていたはずなのに、気が付けば朝も晩も家族と食卓を囲むことはなく、寝顔でしか子どもの顔が見られない、本末転倒。幸せをどんどん先送りにして今が不幸になっているなんて、いったいこの人はなんのために働いてるんだろう。仕事そのものが好きで働いている、って人もいるだろうけれど、家族を犠牲にしないと成り立たないような仕事ってなんなんだろう。

政右衛門もそうだ。たとえ仇討ちの本懐を遂げられたとしても、振り返ってみれば子どもは死なせているし、妻のお谷も嘆き悲しんでいる。決してそこに幸せは待っていない。元はといえば、愛する妻の、その弟のためにした助太刀だったのに、なぜこんなことに。 とかく「地味だ」とか「分かりにくい」とか言われているけれど、もしかしたらこの『伊賀越』を、政右衛門を見て一番身につまされ涙するのは、日々第一線で働いているお父さんたちなのかもしれない。

『忠臣蔵』を見ていても、仇討ちの理不尽さはあまり感じなかった。それは、武士の世界の正義がほとんど武士の世界の中だけで完結していたからだ。それに比べて『伊賀越』では、商人の十兵衛に雲助の平作、元は百姓の山田幸兵衛など、庶民の中に武士の世界の「仇討ち」というルールがねじこまれている。正義の御旗の下では、庶民のいかなる犠牲もものの数ではない、個人の幸せなんて知ったこっちゃない…。とかく世情不穏な空気を感じるこのごろ、『伊賀越』の悲劇が身にしみてならないのである。

■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2013年11月3日『通し狂言 伊賀越道中双六』(第二部)、15日(第一部)観劇)