「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」 言わずと知れた〈唐獅子牡丹〉の冒頭である。歌っているのは、任侠物のスーパーヒーロー・高倉健。五十歳以上の男性なら、ほとんどの人が歌えるのではないか。 60年代までの任侠映画では、義理と人情に厚いヒーローが描かれていた。いわば、正統派任侠道だ。人を殺すにしても義理や道義心のためであり、観客は納得し、喝采さえ送る。ここでは、正義の暴力が行われ、だれも不思議に思わない。アメリカの西部劇もしかり。要するに、筋が通っていればいいのだ。ヒーローの背中にはつねに哀愁が漂っており、そのひとつひとつの行動に共感を超えて、乗り移ってしまう。任侠映画の上映が終わった映画館から出てくる男たちは、みんな肩を揺すって歩いていたという。私はリアルタイムでは知らないが。 70年代に爆発的な人気を誇った「仁義なき戦い」シリーズには、ヒーローはいない。義理も人情もそっちのけ、欲のために人を殺し、裏切りを重ねては殺される、を繰り返す。暴かれる人間の本性、あまりの人間臭さに、観客は共感してしまう。70年代の若い男たちの中で、仁義なき戦いゴッコをしたことのない者はいなかったという。私は幼かったのでしなかったが。
ところで、任侠といえばヤクザ特有の世界観と思われている節があるが、本来は困っていたり苦しんでいたりする人を放っておけず、助けるために体を張る自己犠牲的精神のことだ。かけられた情や恩を返すためなら、どんなことでもする。筋を通すためなら、命さえ投げ出す。そこまで極端なことはできなくても、人間にはだれでもそういった心の動きがあり、他者のそれを理解することができる。だからこそ、昔から物語でも芝居でも、任侠話がもてはやされてきたのだ。
「夏祭浪花鑑」では、市井の人たちが義侠心から人殺しさえ匿う。その殺人とその他の罪を、別の自殺した男になすりつけようともする。私利私欲のためではない。一度守ると決めた人のためである。守られているのは素性のいい色男で、殺人も同情するところはあるが、優柔不断で自分ではなにもできないタイプ。その男の父親に恩義のある人と、その身内や友人が中心になって動いている。 こんなくだりもある。若く美しい人妻が、夫がこの件に少し関わっている縁で会ったこともない色男を家に匿うことになるが、そんな男とふたりでいて間違いがあってはいけないと反対される。一度引き受けたことを取り消されるのに我慢できず、女は火鉢の鉄弓を顔に押しつけ、これでも色気があるのかと迫る。その心意気が大いに褒められ、匿うことになる。 そして登場人物たちは最後まで、義理と情に翻弄され、やがて金の絡んだ義父殺しで幕を閉じる。
これだけを読めば、現代の感覚では理解しにくい。テレビドラマなら、こんなんありえんと、すぐに消してしまうだろう。 江戸時代は現代より庶民の義侠心が強く、これくらいやらないと観客を惹きつけられなかったかもしれない。だとしても、演出が多少変わったとしても、数百年もおなじ演目をやり、現代の観客も充分に楽しませるのは、すごいことだ。 文楽は、大夫と三味線と人形の三位一体というが、目で動きを追う人形と、耳が捉える三味線と浄瑠璃が、合致するのではない、それぞれが自己主張するのでもない、表現しがたい相乗効果をもたらしてくれるのだ。緊迫感と凄みに引き込まれ、感情移入し、ストーリーがわかっていてもハラハラする。
「妹背山婦女庭訓」における、お三輪の存在は忘れられない。心底惚れた男である藤原鎌足の息子・求馬を追って屋敷に入ると、求馬が姫と内祝言をあげると聞き、奪い返す決意をする。そもそもとても気性の激しい女である。ところが官女たちがお三輪を不審に思い、その目的を知ると、酷くからかった末に放置する。受けた辱め、恨み、怒りに身を震わせて、お三輪は祝言の邪魔をしに奥へ駆け込もうとする。そのとき、鎌足の家来に刺される。お三輪は姫の回し者にやられたと思い、死んでも必ずこの恨みを晴らす、と奥を睨みつける。すると鎌足の家来は、それでこそ天っ晴れ、という。 お三輪を刺した目的は、〈嫉妬の相〉がある女の生き血であり、情念が深ければ深いほどよく、それがあれば鎌足と求馬の念願が叶うのだ。自分の死が恋人の役に立つと知ったお三輪はとても喜び、もう一度逢いたいと、求馬を慕いながら息絶える。 この場面、「夏祭浪花鑑」における顔を火傷させた人妻と通じる。自傷と他殺、相手への思い入れ方にちがいはあるが、結果として、どちらも正統派任侠道なのだ。文楽では、女も任侠道をまっとうする。理不尽な死さえ、美しい。いや、かっこいい。
■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。
(2013年7月23日「夏祭浪花鑑」、7月30日「妹背山婦女庭訓」観劇)
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