のっけからわたくしごとで恐縮なのでありますが、学生時代、色恋沙汰にとんとご縁なく過ごしてしまいました。古典芸能にどっぷりはまってしまって、そちらを追いかけるのに忙しかったからなのか、単にモテなかったからなのか。真偽のほどは定かではありませんが、それでも人並みに「思う人から思われたい」「彼氏とラブラブになりたい」と願う気持ちはありました。けど、どうしたらいいのか分からない。ハタと思いだしたのが、ふだんなじみの古典芸能「文楽」。恋の手本となりにけり、の『曾根崎心中』はじめ、文楽には恋だの愛だのがあふれている。ここはひとつ、文楽に恋の手本を教わろうやおまへんか。…そんな不純な動機で舞台を見ていた学生のわたしは、しまいに途方に暮れてしまいました。というのも、文楽で描かれているのは「恋のはじまり」ではなく「恋の終わり」がほとんどだったから、なのです。
四月公演の「野崎村」しかり、『心中天網島』しかり。お染・久松にせよ、小春・治兵衛にせよ、登場した段階ですでにラブラブ、カップルになっていて、思う人から思われている(状況の大変さは置いといて)。「お染が蔵の裏手に久松を呼び出して告白」「治兵衛が小春を『遊びで通うてるんやない、本気と書いてマジなんや!』と口説く」というような、カップル成立のシーンは見られないのです。たまに、時代もののお姫様が若いイケメンにぽーっと一目ぼれする、なんてシーンもあるのですが、それも、お付きの女中にとりなしを頼んだら、たいていはすぐに思いが通じてラブシーン、となる。いやこれ、なんだかずるくないですか? 文楽の世界には、「好きな人の前でどうしても素直になれないワタシ」だとか「見つめてるだけの彼にどうやって話しかけたらいいの」などの、少女マンガ的な片思い・乙女の妄想はほとんど無いのでありまして、すでに成就した「恋」が、舞台にポーンと投げ出されている。童話で言えば「めでたしめでたし」の状態ですが、そこから始まる物語をドラマティックに動かすのは「世間が許さない」という状況です。
「野崎村」で言えば、主家の娘と丁稚という身分の違いであり、「天網島」では、妻帯者との恋に加え身内からの反対、金銭問題など、複雑に事情がからんできます。そして、許されざる恋は蟻地獄へ落ちるように、心中という一点に集約されていくのです。ふたりは死を迎えますが、ある意味これは、もっとも幸せな恋の終わりと言えましょう。いや、「終わり」ですらないのかもしれません。いまの時代によくあるように、「ほかに好きな人ができた」「愛情が冷めた」などの理由で、恋心が消えてなくなってしまうのが「恋の終わり」であるとすれば、心中は「恋が恋のまま昇華する」ことにほかなりません。相思相愛のハッピーエンドが、心変わりすることなく冷凍保存されるようなもの。だからこそ、心中の場面はあんなにも凄惨に、美しく描かれるのでしょう。余談ですが、落語に出てくる心中といえば、「とにかく自分は死にたくない」の一点で、川へ飛び込むと見せて石を放り投げたり、相手が先に飛び込むのを見届けてなに食わぬ顔で家に帰ったり、と大変にドライ。「死んだらおしまい」とばかりに、人間の図太さ、強さが描かれていて、それはそれで現実的なのであります。
心中するふたりに代わって、「恋の終わり」という荷物を背負わされているのが「野崎村」のおみつです。ここでも、恋のはじまりはけっこうアバウトで、 「久松さん、ステキ」と憎からず思っていた矢先に父親が、「今日ふたりの祝言をあげよう」と言い出します。おみつの恋は世間に祝福されるものであり、いきなりハッピーエンドか? と思いきや、そうは問屋が卸さないのが、肝心の久松の気持ち。明らかに、気持ちはお染に向いています。 (とはいえ、久松もお染さえこの家に来なければ、案外、そのまま流されておみつと結婚して幸せに暮らしたのでは、と思うのですが…それは置いといて)
結局、おみつの思いは愛しい久松には届かない。ふたりの幸せを祈りつつ、けなげに身を引く失恋となるのです。このストーリーの中でもっとも少女マンガ的な人物であり、現代の乙女が一番共感し、涙するのが、このおみつではないでしょうか。少なくともわたしには、自分の思いをわがままなまでに押し通すお染よりも、相手の幸せを願うおみつのほうが、凛として美しく見えるのです。 それに比べ、どうにもこうにも往生際が悪いのが、「天網島」の恋仇・太兵衛。この人、本当に小春のこと好きだったのか? といぶかしく思うほど、治兵衛のことをふざけた調子でこきおろす。そんなことしてたら、ますます小春に嫌われちゃうよ、とアドバイスしたくなるほどだけれど、これが「可愛さあまって憎さ百倍」の状態なんだろうか。 ともあれ、同じように実らぬ恋に対峙するのでも、乙女は美しく描かれるのに対し、男はチャリ(滑稽な人物)にされてしまうとは。あなおそろしや。
■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。
(2013年4月12日『心中天網島』16日『伽羅先代萩』『新版歌祭文』『釣女』観劇)
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