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国立文楽劇場

開場40周年記念文楽かんげき日誌SPECIAL
人間的な、あまりに人間的 ― パトスの悲劇としての『忠臣蔵』

森田 美芽 

今回の『仮名手本忠臣蔵』(以後『忠臣蔵』)を見て、なぜこの悲劇が起こったのかを訝しく思った。『忠臣蔵』は少なくとも十回以上の観劇歴があり、各場の見どころも太夫の聞かせどころも心得ているはずなのに、強くそんな思いにかられた。

そもそもなぜ塩谷判官があそこで高師直に怒りをぶつけたのか。九段目の段切れで、加古川本蔵に「計略といひ義心といひ、かほどの家来を持ちながら、了簡もあるべきに、浅きたくみの塩谷殿。口惜しき振る舞ひや」と言わせるほどに。そのために家来たちを路頭に迷わせ、また敵討ちに成功したために、家来は切腹することになる。七段目で遊興にふける由良助が、「よう思うてみれば、仕損じたらこの方の首がころり、為果せたら後で切腹。どちらでも死なねばならぬといふは、人参飲んで首括るやうなもの」と言うが、まさにその通りであり、当時としても庶民の感覚では納得できるものだろう。そのような多くの犠牲を払うことになるその原因が、三段目、「殿中刃傷の段」の塩谷判官の怒りである。

直接の原因は、師直が判官を「鮒侍」と罵ったことだが、その背景には、師直が顔世に横恋慕し、顔世からの断りの返歌に怒った、言わば判官は私怨による公の場でのいじめ、意趣返しとも言うべき辱めを受けたのであり、これは武家として体面に関わる怒りであろう。

だが、今回もう一つ感じたのは、判官が師直に顔世からの返信を渡した時、師直の底意に気づいていただろうか、つまり、権力をかさに着て、自分の妻に手を出そうとしたことへの怒りがあるのかどうか、ということだ。

「恋歌の段」で顔世は、『はしたなう恥ぢしめては反つて夫の名の出ること。持ち帰つて夫に見せうか。いやいやそれでは塩谷殿、憎しと思ふ心から怪我過ちにもならうか』と悩み、「花籠の段」では「恋の叶はぬ意趣晴らしに判官様に悪口。元より短気なお生まれ付き、え堪忍なされぬはお道理でないかいの」と語っている。彼女の懸念の通りに進んでしまったことになる。パワーハラスメントとセクシャルハラスメントを同時に受けた者の苦衷が読み取れる。

判官は、彼女の返歌を師直に「たゞ今見ました」と言っているから、師直の底意に気づいたのではないか。もしそうなら、彼は自分の体面のためだけでなく、妻を辱められたことに対して、そして自分が妻を愛すること自体をからかわれ、辱められたことに怒ったのではないか。鶴が岡で妻が直接師直からパワーハラスメント、セクシャルハラスメントを受けたことは、その場で見ていなくても、想像ついたであろう。立場上、また力関係で逃げることもできない顔世が、どんな思いをしたか。判官にとって、自分の妻が嫌がらせを受けることは許せない、と感じたのではないか、とふと思った。武士としての体面を潰されたこと以上に、男として妻への侮辱を許せない思いがその底にあったのではないだろうか。

かくして判官の怒りは、一家を破滅させることになる。「判官切腹の段」の、由良助に対する「エヽ無念。口惜しいわやい」の一言が、無限の重さをもって響く。無論、喧嘩両成敗のはずが、自分だけが罰を受けることへの怒りもあるだろう。対する悪はそのままのうのうと生き続けている。自分のみならず、家中一門すべてがその苦難を受けることへの、怒りそして恨み。そして形見の九寸五分を手に、判官から由良助へ、怒りのリレーは恨みのリレーとなる。私怨からの刃傷だったかもしれないものが、公的な怒り、そして恨みとして受け継がれることになる。

五段目以降、特に早野勘平に関わる物語は、この恨みから敵討ちへの執念への転化と言えよう。私の考えだが、怒りを継続することは結構難しい。怒りは一瞬だが、そのことで起こった現実に直面して苦しむのはずっと継続するからだ。怒りが恨みに転化するきっかけ、それは判官同様、理不尽な仕打ちによる一方的な受苦であり恥であること、その不条理を覆すだけのパトスの一撃である。

勘平は自分がおかるの誘惑に乗ったばかりに、武士としての面目を失い、ただ敵討ちに加えられることの実を願っている。そうしてみれば、師直は勘平にとって、何より主君を無念のうちに死なせた敵であるだけでなく、武士としての誇りを失わせた張本人であることになる。彼個人にとっても敵であり恨みの対象と言ってよい。しかし不思議な巡り合わせで、勘平は自分を舅殺しの犯人と思い込み、朋輩への面目のために腹を切らねばならなくなった。舅を殺し金を奪い、しかもその金は妻を身売りさせた金であるという人非人の汚名を負わされた勘平は疑いが晴れ、自らの命によって連判に加えられたことで決着するのではない。「ヤア仏果とは穢らはし、…魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供する」とその執念を見せつける。霊魂や精霊など、人間を超えたものの一切出てこないこの『忠臣蔵』で、唯一死後にも残る怨念を感じさせる、鬼気迫る場面である。

怒りと恨み、その奥の性に絡む情念、『忠臣蔵』はこうした人間のパトスが生み出した物語である。理性を超えた情念の働きの凄まじさ。シモーヌ・ヴェイユはかつて、「さまざまな点から見て、おそらく低い徳の方が高い徳よりも、種々の困苦、誘惑、不幸の試練によく堪えることだろう」(『重力と恩寵』より)と言ったが、彼らは武家の理想というより、この深く根深い「恨み」に囚われていたからこそ、この困難に耐えられたのではないかと思う。それは私たちの生活の日常の中にもよくある。言い返したいのに言えない、攻撃されて苦痛を受けているのにやめさせられない、そうした理不尽に抵抗するすべのない時、その痛みは内向して、われわれを深く穿つ情念として心深く潜航し、ある時予想しがたい行動となって爆発する。それが自分に向かえば自分を破壊するほどの情念となり、他者に向かえば徹底的に叩き潰さざるを得ない。そうしたパトスの発露として、この物語全体が成り立っているのではないか。

人間的な、あまりに人間的な――『忠臣蔵』のドラマの、華やかさや様々の趣向、人形ならではの表現に酔いながら、そうしたことを感じずにおれなかった。こんなことをしでかせば、結果がどうなるかは見えている。それでもなさざるを得なくなる人間の弱さの連綿と続く悲劇を、感じないではいられなかった。


国立文楽劇場の40年に亘る歴史の中で、繰り返し上演された『忠臣蔵』は、それぞれの時の華をわれわれに見せてくれた。私が最初に見たのは1998年、吉田簑助師匠が急な病に倒れられた時である。その翌々年に見た、回復された簑助師匠のおかるの華やかさと色気も忘れることはできない。勘平が誘いに乗るのもむべなるかなと思わされた、運命の女の力。また先代吉田玉男師匠の、四段目の由良助の、「判官の末期の一句五臓六腑に沁み渡り」に込められた、すべてを自分の肚に収めた覚悟の深さ。吉田文雀師匠の判官の、由良助に打ち明ける最後の本音の痛ましさ。耳に残る、五代豊竹呂太夫の「殿中刃傷の段」、竹本緑太夫の「花籠の段」。これらの積み重ねによって、今回の『忠臣蔵の段』との出会いがあったと思う。若太夫の「判官切腹の段」の恨みの一言、錣太夫の『勘平腹切』の婆のヒステリックな追い詰め方、織太夫の「祇園一力茶屋の段」平右衛門の一途、これらは連綿と続く、人の情、人間のパトスの物語を、文楽がこれからも担い、それが時に及んで我々の心に触れるであろうことを教えてくれる。

■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学元学長。専門は哲学・倫理学。キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。

(2024年11月2日第1部・第2部『仮名手本忠臣蔵』観劇)