不思議ですね。『伽羅先代萩』の政岡の顔が蒼白に、表情を失ったように見えました。人形なので表情が変わるわけでもなく、ましてや顔の色が変わるわけでもないのに、それでもほんの一瞬、表情が凍ったのです。
御家騒動の中で幼くして藩主となった鶴喜代君。隙あらば命を狙われる状況で、誰が味方で護ってくれる存在なのかを正確に理解しています。 だからこそ「竹の間の段」では、乳人政岡のピンチを幼いながらも君主として立派に防げるのです。その才知溢れる姿に私たち観客も「この若君は絶対守らなければならないのだ」と政岡の気持ちに同化します。この命をかけて守りたい鶴喜代君の存在は、歌舞伎で子役が演じるのと違い1人の太夫が語り上げることではっきりと浮かび上がるように思えます。
政岡の息子の千松も心から鶴喜代君を守りたいと思えているのでしょう。そしてそれと同じくらいに母も大切に守りたいと思っているのでしょう。
敵方から献上された「食べてはいけない菓子」を躊躇なく食べ、自分以外=鶴喜代君が食べることがないよう菓子を蹴散らします。毒で死んだと露見しないように千松に突き刺される刃。この一瞬の、けれどもストップモーションのように見える出来事。我が子の悲劇に若君を守りながらも冷静で在ろうとする政岡。
「じっと堪ゆる辛抱もただ若君が大事ぞと涙一滴目に持たぬ男勝りの政岡が忠義は……」涙をこぼさない、こぼせない政岡の顔が強張ってみえた瞬間でした。
あらゆる言葉が人形から伝わってくる不思議さ。それは第3部の『平家女護島』でも同様です。
丹波少将と千鳥の結婚をニコニコと、こころから喜ぶ僧都俊寛。2人の馴れ初めの語りは文学的でセクシーで、春画の表現を耳で聴いているような面白さがありますね。その上で千鳥に語りかける「北の方と、緋の袴付けるを待つばかり」という言葉。海女であっても=どんな身分であっても正式な妻として相応しい扱いを受けるべきだ。人は皆平等とさりげなく、でもはっきりと宣言する俊寛。後々この言葉が深い意味を持ってくるのが、都への船の乗船を拒まれてからの千鳥のクドキです。
恩赦の船に乗る3人から引き離され、妻であるからという少将の言葉も役人たちに投げ捨てられ絶望した千鳥。全身をなげうち、着物から白い脚も覗くくらいに激しく身体を震わせて叫びます。「鬼界が島に鬼はなく鬼は都にありけるぞや……連れて都で栄耀栄華の望みでなし……人々の嘆きを見る目はないか、聞く耳は持たぬか……」
生まれも職業も関係なくその人そのもので評価され、正当に扱われるべきと優しく示されていたからこそ千鳥が直面した現実の悲しみが際立ってきます。そしてこの嘆きが迫ってくるからこそ、この後の俊寛の行動も説得力が出てくるのです。
瀬尾がひたすら嫌味な人物で、愛する妻が既に亡き者にされている、それだけが殺意に結びついたわけではないのです。千鳥の真心と嘆きを俊寛は見て聴いていたのでしょう。
「愛する者同士が引き裂かれてはならない。どんな人にも幸せになる権利がある!」
瀬尾に斬りかかる俊寛からはそんな声が聞こえるようでした。愛と正義の味方俊寛!! その彼の抑えようもない孤独と悲しみ。ヒーローの孤独の究極が幕切に浮かび上がる『平家女護島』でした。
親子は一世、夫婦は二世、という義で旅立つおしゅん。
愛する人の忠義と命のために禁を破るお七。
愛に殉じるヒーロー・ヒロインが躍動する初春文楽。
その最初の演目は『七福神宝の入舩』です。宴会をすれば居そうな人間味あふれる神様たちの楽しそうな様子が十二年ぶりに登場する船の上で繰り広げられます。最近の痛ましい出来事にままならない現実の厳しさの中にも、その苦しい心をひと時明るくしてくれる光がそこにはありました。
(2024年1月5日第1部『七福神宝の入舩』『近頃河原の達引』、第2部『伽羅先代萩』、第3部『平家女護島』『伊達娘恋緋鹿子』観劇)
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