夏休み、と聞くと大人になった今も、やはり胸が高鳴りワクワクしてしまいます。
スケジュールの都合で第一部は拝見できませんでしたが、
昨年度の夏休み中の第一部・親子劇場公演は、お孫さんとおばあちゃまが楽しそうに劇場体験を共有されている姿が微笑ましかったことを鮮明に覚えています。
きっと今年もそんなご家族の姿があったことだと思います。
今年は昨年よりさらにしんどい状況が続いていますが、
それでも文楽劇場ではいつもと変わらず公演が行われていて、
「うれしいなぁ」と劇場入り口に到着しただけで心がふるふるとなってしまいました。
いつでもどこでもドキドキする検温と、消毒をすませ、空調ばっちりの劇場内へ。
「涼し~~~い♡」、肌感覚が冴えます。
まずは第二部「心中天網島」
言わずと知れた近松代表作。
文楽はもとより映画や演劇公演などで、何度も拝見している名作です。
私はこの作品の何が好きかというと、
小春が「痛い」と口にする点。
「自害すると首括るは定めしこの喉を切る方が、たんと痛いでござんしょうな」
人によって想像する感覚は様々だと思いますが、この「痛い」という言葉が
私にはとても生々しく感じられて、物語世界に自分の身体感覚がぐんと引き入れられるような気持になるのです。
美しく描かれがちな心中ですが、この一言で、
カミソリがぴたりと自分の首筋にあたる冷たい感覚、
切れた首から流れ出る血の温度や、
そのあふれる血によって呼吸がさえぎられる苦しさまで、妄想してしまう。
生きていると、痛みがあるのだ、と思いださせてくれるのです。
ましてや、文楽で本来は人形である小春からその言葉が発せられると
人形の肉体感覚が具現化されるように感じて、より生々しい人間の生きざまのようなものを想像することがとても容易くなる気がするのです。
ここは太夫さんの語り、演じ分け、殊に女性のセリフ部分がすてきだなと思い、
より一層見ているこちらの感覚を冴えさせてくれたように感じました。
作品全体のことに触れたいと思いますが、これまでも語りつくされていることもありますので、観劇しながら取った走り書きのメモをご紹介したいと思います。
・江戸屋太兵衛と善六の浄瑠璃ごっこたのしい
・客のキセルに火をつけてあげる小春、色っぽい
・だまされた!とDV、治兵衛ひどい
・立ち回りからの決めポーズがきれい
・おさんが子守に「(うちの子になんかあったら)ブチ殺す」ちょっと衝撃発言
・(春が来て)こたつを片付けた祝儀に夜の営み、って、サラッというのね♡
・プライド、憎さ百倍
・「京(今日)縮緬の明日はない夫のいのち白茶裏」
「夫の恥とわが義理をひとつに包む」、なんて美しい詞章
・大和屋の段は、風景と語りの場、素晴らしい
・くぐもった拍子木の音、かなしい
・少ししか開かない戸、ドキドキする
・店の前でそないに騒いだらばれるし、はよ逃げてー!
・小春の衣裳のススキモチーフと舞台美術のススキのリンク、効果的
・離れたところで死ぬ二人、おさんや残された人を思いやりながら、でも避けられなかった悲劇に心がぎゅっとなる
・首を吊る治兵衛の姿にも身体・肉体性を感じる
私はこんなことが印象に残ったり感じたりしました。
そして毎回見るたび、相手の命のために自分の気持ちを抑えて捨てる小春・おさんの二人の女性のいじらしさに「なんとかうまくいってくれないものか」とむなしい願いを抱いてしまうのです。
うーん、メモを読み返していると、またもう一回見たくなってきました。
第二部と第三部の合間に一階ロビーに降りると、来たときは見逃していた、
お知らせのボードに気付きました。
新型コロナによる配役変更のお知らせでした。
その日は吉田簑紫郎さんが八面六臂のお働き。
人形遣いさんはクレジットされるのが主遣いさんだけなので分かりませんが、
おそらく見えないところでもきっと皆さんお忙しくされていたことだと想像します。
何としても公演を止めないお心意気と、突然の変更にも対応できる伝統芸能の凄さに感服するばかりでした。
さて、第三部。
「花上野誉碑」志渡寺の段
前回の公演で大号泣した超お気に入り作品です。
そして二年前、私は能の海士をモチーフにした物語、中勘助「鵜の話」を
朗読劇として公演したのですがその作品中でも志渡寺の金毘羅権現の
霊験あらたかさが描かれていて、勝手に身近に感じてるお寺さんなのです。
拝見できたこと、金毘羅権現様と文楽劇場の皆様へ、感謝申し上げます。
やはり今回も泣いてしまった乳母お辻の絶叫。
これほどまでに人のために尽くせる愛情の大きさ深さに圧倒されるばかりです。
内容的には、現代人からすると、「えぇぇ、そんなバナナ~」と言いたくなる点も
モリモリありますが、問題はそこじゃない、と最終的に納得させられてしまうエネルギー。
坊太郎は約束を守って、決して口を利きません。
これで思い起こされるのは、中国・唐時代の「杜子春伝」と芥川龍之介の「杜子春」。
「何があろうと声をだすな」という約束の元、
結果どちらも肉親への愛情から声を出してしまうのですが
違うのはそのあとで、前者は発生してしまったことを責められ、後者は肯定される、
これは社会の哲学や思想が時代によって異なっていることが表われているのだと感じます。
この作品も社会の在り方として、「杜子春伝」に近いのだと思います。
では、この坊太郎にはお辻を思いやる愛情がなかったのか、というと、
そうではないと私は感じました。
坊太郎がしくしくと泣き、しゃくりあげる姿、時々涙を拭く仕草の愛らしさから、
彼は精いっぱい我慢していたのだという事が、ありありと伝わって来ていました。
わずか7歳の幼子が父親の仇討ちを固く心に決めている信念の強さを感じると同時に、
お辻の体を心配した故に大事な献上の桃を盗んでしまう頑是なさ、
そのことを砂に書いた文字で伝える姿に優しさが見えます。
双方が相手を思いやる強い思いがあるからこそ。
なんだか、第二部の心中天網島の人々にも重なって見えてきます。
「紅葉狩」は能を基にした作品だからなのか、
舞台中央の松が、能舞台の影向の松のようにも見えます。
維茂の人形と主遣いさんの衣装がカラーコーデされていて目に美しく、
琴の音も耳に心地よく、山神の消え去り方が可愛いらしい。
更科姫が逆ナンしたのちに披露する踊りが優雅で見事、
鬼女に変化した姫は煙を噴いたり髪をぐるぐる回したりとケレンミたっぷり。
鬼退治ものですが、主観を更科姫に移すと維茂に退治された仲間の仇討ち、
二部三部通して、誰かの為に死力を尽くす登場人物が次々と出てくる印象でした。
日々、意識しないで過ごしがちですが、誰かのために何かを為すことが
社会生活のベースなのかも知れない、と改めて感じる一日となりました。
私も来週から始まる「人形の家」の稽古、人のための芝居を心がけて、頑張ろう、
と、勇気と元気を頂いて、劇場を後にしました。
■たきいみき
舞台女優。大阪生まれ。
主演作に「黒蜥蜴」「ふたりの女」「夜叉ヶ池」(演出:宮城總)、「令嬢ジュリー」(演出:フレデリック・フィスバック)など。野田秀樹作、オン・ケンセン演出「三代目、りちゃあど」では歌舞伎や狂言、バリ伝統影絵などジャンルを超えたメンバーと共演の他、クロード・レジ「室内」、オマール・ポラス「ドン・ファン」など、海外の演出家とのクリエーション作品も多数。次回作は9月「みつばち共和国」、来春2〜3月「人形の家」に主演
(2022年7月27日 第二部『心中天網島』、第三部『花上野誉碑』『紅葉狩』観劇)
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