自分の気持ちにウソをつかずにいられたら、生きていくのがどんなにラクだろう。
思ったままの言葉を口にできたら、どんなにスッキリするだろう。
そう思っても、浮き世の義理で仕方なく
「この案、いいとは思えないけど上司の機嫌損ねるのもなんやから賛成しておこう」
だとか
「ホンマは来てほしくないけど義理の母がうちに来たら歓迎しなくちゃ」
だとか。
思いと裏腹の言葉が少しずつ、毒を飲むように心と体にダメージを与えていく。
ストレスがかかる、というやつだろうか。
『心中天網島』の登場人物も、ずいぶんストレスがかかっていそうな人ばかり。
桐竹勘十郎さんが遣われる小春なんて、その代表格だ。
恋しい相手を救うため、切りたくもない縁を切るため、気持ちに反して「つい約束したけどあんな人と心中したくない」とウソをつかねばならないのだ。
これはつらい。わたしだったら心中する前に胃に穴があきそうだ。
逆上した恋人に叩かれ蹴られるのもさらにつらいが、もっとつらいのは、誤解されたまま関係を絶ってしまうことではなかろうか。
そう思わされるのは、「河庄の段」の段切れ近くで小春が刹那
「いっそ心を打ち明けて」
というところ。本当の気持ちを言ってしまえたら、どんなにラクになれるだろう。
同じ心中ものでも『曽根崎心中』のお初は、徳兵衛に対してずっと本音を語っている。
それに比べて小春は…ああ、ストレスたまるやろなぁ。
最愛の人には誤解されたままであっても、せめて誰か一人ぐらいは本当のところを知っておいてほしい。できれば、自分の死後「小春さんてホンマはあんたのこと好きやったんやで」ぐらいは伝えてほしい。
治兵衛の兄・孫右衛門に、治兵衛の妻・おさんからの手紙をやすやすと奪われ読まれてしまうのも、うっかり、というよりはどこか「見てほしい」気持ちがあったからじゃないかな、なんてことも勘ぐりたくなってしまう。
その孫右衛門も、大変だ。
世間への義理からなんとかしてこの二人を別れさせねばならない。でも、兄として本当のところはできるなら添わせてやりたい、と思っているんじゃないだろうか。
「河庄の段」で侍の恰好に身分を偽っているのも、本当の自分のままだと本音が漏れてしまうから。姿を偽り、心も偽る。
別れるのも添わせるのも無理だとしても、心中だけはさせたくない。「大和屋の段」で、治兵衛が小春と会ったあとどこに行ったのか、二人で忍びあっていないか、探し回っている。本当に面倒見のよい兄だ。ここでの詞章に
「憎や憎や」の底心は、不憫不憫の裏町を
とあるように、口では「憎い奴っちゃ」とブツクサ言いながらも心の底では弟が不憫で仕方ない。
治兵衛亡きあと、残された子供と小春の母もこの人が面倒を見てるんじゃないかと思わせるほどのいい人ぶりだ。
そして、治兵衛の妻・おさんである。
こんなもんストレスたまりまくりだ。
恋にうつつを抜かす阿呆な夫と暮らしているのだから。
思い余って、相手の小春に「夫と心中しないで」と手紙を書くのもむべなるかな、である。
けれどそのあと、小春の縁切りの真意を悟り、お金を作って夫に身請けさせようとする…って、そんなよぉできた奥さんいてる? と思われるかもしれないけれど、その気持ちは少しわかるような気がする。
このときのおさんは夫への愛やら恋やらは関係なく、相手の命を救わないと自分が人としてダメになる気がしたのだと思う。自分の思いを通すために人の命を犠牲にするぐらいなら、夫と切れたほうがまし。自分のことを嫌いにならないために、自らのプライドをかけて金策をしたのだと、わたしは思う。
『心中天網島』で、一番自分の気持ちにウソ偽りがないのが、治兵衛だろう。
カーッとなって女を殴る蹴る、ままならない恋愛にふてくされる、おのれのメンツが立たず悔しくて泣く…。
もう、なんやねん! 一人だけ好き放題か!
けれど案外、こういう人がモテるのかもしれない。
このタイプ、なにか問題が起こったらなんの役に立たないけれど、ふだんはウソがない分わかりやすくていい人のはず。好きだと思ったら一直線。気を引くために意地悪なぞせず、ストレートに好きだと伝えるタイプだろう。
女郎というウソの世界で生きる小春には、きっと、お腹の中までまっ正直な治兵衛がかわいらしく、うらやましく見えたに違いない。
「道行」での小春がスッキリと輝いて見えたのも、死を前にしてやっとウソをつく必要がなくなったから、なのかもしれない。
(2022年7月27日第二部『心中天網島』観劇)
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