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文楽かんげき日誌

なりたくない人

くまざわ あかね

文楽にはさまざまな女性が登場する。
舞台を観ながらつい、その人物に自分を重ねたり共感したりするのが常だ。

たとえば
『妹背山婦女庭訓』のお三輪の、可憐で哀れで激しい恋に憧れを抱いたり
『伽羅先代萩』の政岡の、秘めた情を隠し持つクールさをうらやましく思ったり。

そんな中「なにが起こっても絶対にこの人にだけはなりたくない!」と思わせるのが、今月の『ひらかな盛衰記』のお筆さんだ。
お芝居で見る分にはともかく、自分がその立場になるとしたら… ダントツでイヤだ。

まずもって、「笹引の段」で父親とご主君と若君を一度になくしていきなり一人っきりになってしまうのがおそろしい。
ホラー映画でも、主人公が仲間と一緒に敵から逃げているうちはまだ見ていられるのだけど、みんなやられて一人だけ生き残る終盤がこわくて仕方ない。
「映画だから」と自分に言い聞かせてこわごわ見るけれど、もしリアルならそこから先、生き延びる自信はゼロだ。絶望しかない。

一人さびしく生き残り、相談する相手もないままに「これでいいの? 大丈夫なの?」と(おそらく)自問自答しながらご主君の埋葬場所を探すお筆さんの元へも、ゾンビのように刺客はやってくる。
戦は武士だけが行っているのではない。
それこそ「ひらがな」の世界、お筆さんのような女性や普通の生活を送る人々にも容赦なく訪れるのだということがよくわかる。

そして。「首を討たれた」と思った若君が若君ではなく、闇夜でうっかり取り違えたよその子だったことに気づく。
幸いその子の笈摺に住所が書かれていたので訪ねていくことは可能だ。
いや、幸いなのかどうか。ここからも胃が痛くなるような展開が続く。

「お宅のお子さんは亡くなってご愁傷様なんですけど、若君はこちらへ返してもらえません?」
と、非常に手前勝手なムシのいい話をしにいかないといけないのだ。

「確実に怒られる」とわかっていながらも、相手先に謝罪に向かわねばならないシチュエーション。それも、なんの手土産もなしに。あああ辛い。
過去に、とある人に怒られに行く電車の中でずっと下を向いていたことを思い出し、この場面でのお筆さんの登場シーンはいつも、しんどい気持ちがわかりすぎて、ガンバレ、と心の中で声をかけてしまう。

帰ってくるものと信じていた孫の死を知らされたうえ、勝手な言い分をぶつけられた船頭の権四郎はお筆さんに対して怒りちらす。そらそうだ。
戦は市井の人である権四郎の元へもやってきて、それまでの生活を理不尽に変えてしまう。
持って行き場のない怒りの矛先がお筆さんに向かうのも致し方のない話だ。

役目柄とはいいながら、「勝手なのはわかってますよ、でもしゃあないやん。言わざるをえないでしょ!?」という話をさせられた上に、自分のせいじゃないのに怒りをぶつけられてしまう。
絶対に絶対に、お筆さんの立場にだけはなりたくはない。

『ひらかな盛衰記』は、第二部に登場する樋口次郎のストーリーと、第三部の梶原源太のストーリーで構成されている。その2つの物語をつなぐのが、お筆さんの存在だ。
2つの物語の橋渡しという役目は、一人生き残って辛い任務を背負わされる、不憫なお筆さんへの作者からのちょっとしたプレゼント、なのかもしれない。このあとお筆さんの人生に幸あれかし、と願うばかりだ。


■くまざわ あかね
落語作家。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2021年10月31日第一部『蘆屋道満大内鑑』、
11月2日第二部『ひらかな盛衰記』、4日第三部『団子売』『ひらかな盛衰記』観劇)