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文楽かんげき日誌

劇場は待っている

やぶくみこ

2020年はいつもとずいぶん様子が違う。どこに行くにも年中マスクをつけている。
そのせいでいろんな人の表情が見えない。
道ですれ違う人、よく知った友人、仕事の仲間。
マスクのない人に会うことが少なくなってしまった。
劇場に来たら検温、消毒。マスク姿のスタッフの方がお出迎えしてくださる。
劇場についたら、私自身が劇場と生の公演を目にすることに飢えていた自分を確認する。応対してくださる係の方からもにじみ出る緊張感と、お客さんが来てくれてうれしい、というあたたかな気配を感じる。

毎年、新年はじめの文楽鑑賞をたのしみにしている。
にらみ鯛の飾りがあるのは1月の公演だけ。
コロナ禍になってからは、昼食休憩や夕食休憩の時間がなく、2階のロビーも閑散としていてさみしい。そこでごはんを食べながら、居合わせた人が話す会話を耳にするのが楽しみだったのもある。それぞれに公演の感想を話していたり、最近の出来事や食べている物をどこでどのように買ったかなど、公演以外の大事なものがたくさんロビーにあるから。
マスクをし、呼吸をひそめて見る文楽。
いつもより静かに感じる劇場内に太夫さんの声と三味線が響き渡る。
客席もまばらなのも(おそらく鑑賞が平日だったからだと思うが)さみしさを感じながらも、声の響く量は増える気がしている。
わたしたちの体は声を発するけれども、声の音を吸収(吸音)する。

第2部を鑑賞
碁太平記白石噺―浅草雷門の段
大道芸人の手品ではじまる。コロナ禍のせいで生のパフォーマンスに飢えているせいか、そんなことは関係なくなのか劇中の文楽大道芸にもいたく感動する。こどものようにはしゃいで見入ってしまった。大道芸人はただものではない。
姉を探している巡礼姿のおのぶちゃんが入ってくると三味線の音階がかわり、ゆるやかに、なめらかになっていく。空気がかわる。音があがって、パリッとハリがあるのに、なめらかなのだ。加えて咲太夫さんの絶妙なのどの具合をじっくりと味わう。とにかく気持ちがよい。

この大道芸人は渾身の変装と演技で、おのぶちゃんを騙して吉原へ売り払おうとした金貸しの男、観九郎から見事に五十両を巻き上げる。
相手が酔っぱらっているのをいいことに地蔵に変装し、亡くなったお父さんからの伝言だとあの世行きにかかる料金をあれこれと並べ立てる。もっともな口調でつらつら話すものの、赤い頭巾をかぶって、真っ白にハタいたお顔(粉が舞う)となぜかほっそり足が出ているのとで見た目にツッコミどころが多すぎて、本当に騙せるのかハラハラする。さらに五十両もらう肝心なところのちょっと前に足を掻いたりしている。最後の最後で声でバレそうになるものの、帰るところは絶対見るなよ、と念押しして逃げ切る。
最後のハケのポーズはJR天王寺駅の天女さんのようだった。

新吉原揚屋の段となる
先のおのぶちゃんが吉原の大黒屋の傾城である姉の宮城野さんに再会するシーンである。場面も打って変わって華やかなピンク色の部屋となる。三味線の低い音がうろうろ。おのぶちゃんの戸惑う気持ちが三味線の音で表現されているように聞こえた。きらびやかな着物と美しいかんざしをつけた美しい宮城野さん。出身地と父親の名前、母親が渡したという河内の国壺井八幡様のお守りでお互いを姉妹であると確認する。再会を喜び、抱き合うまでのためらう動作の往復が印象的だった。
そして語られる。おのぶちゃんが巡礼の旅に出るきっかけになった話、父親が悪い代官に殺され、母もそのなかで病死したこと、涙なしには聞かれない話。

”長の旅路の憂き苦労、思ひやるせも宮城野に、続くは末の松山を袖に波越す涙なり。” ここには長い声の間に三味線の細やかな音がたくさん入る。
二人の父親の仇討ちを誓い合う姉妹のシーンとどっしりとした音。大黒屋の主人である惣六さんはこの話の中で出だしから最後までイケメンぶりを発揮している。立ち聞きしていたために宮城野さんに斬りかかられるもののあっさりと刀をはたき落とす。仇討ちを成功させるために鍛錬し、知恵をつけよ、協力するから、と姉妹の感涙からほんの少しの間があり、座敷の賑わいの音がもどる。軽やかで速い三味線の音がドライブしたかと思うと姉妹が去り際に目を合わせた時にフッとゆるやかになる。
たまらない。

生の音楽のありがたみを感じる。去年からはとくに。
当たり前になっていたものが、なくてはならないものだと確認したり、人の息遣いや、触れるものにとくに敏感になっている。
オンラインも手軽でいいけれども、もうオンラインはたくさんだ、とも思う。生でしか得られないものが劇場にはいっぱいある。
今年はどこの劇場にいっても、劇場がお客さんを待っている、という感じがとてもする。私自身の観劇の数が例年より減ったせいもあるかもしれない。こちらの渇望のせいもあるかもしれない。でもそれによって、本当になくてはならない、と強く感じた。これはコロナのおかげかもしれない。

義経千本桜―道行初音旅
紅白幕からの桜がまぶしい。太夫さんと三味線弾きのお衣装もまぶしいピンク色。
太夫さんの声がたくさん生で聞けてうれしい!とか、うぐいすの声と鼓のセッションが肩こりがとれそうな音だ、などと思っているうちにまっしろい狐さんが出てきて忠信さんに変身。この時人形遣いの方も同時に変身する。おそらくわずか15秒あまり。びっくりしすぎてしばらくストーリーに戻れない。とにかく耳に目に華やかで心がいそがしい。雄弁な静御前の舞う姿も美しい。
音階のある鉦と笛、太夫さんの合唱と義太夫三味線の音に忠信と静御前のユニゾンもとても贅沢。人形遣いの動きにみとれていると、ちらりと、ちょっとした間で三味線の糸を交換するところもかっこよくて見てしまう。
忠信と静御前のやりとりをみているうちに、寄せては返す三味線のフレーズと動きのせいだろうか。背景は桜のままなのにだんだん海がみえてくる。
そして鼓の音が気づかぬうちに止んでいて、また元の桜の道行の風景に戻っていく。道行に出る足と、劇場を出る足が繋がる。
名残惜しい、また会いたい。

■やぶくみこ
音楽家/作曲家。1982年岸和田生まれ。英国ヨーク大学大学院コミュニティーミュージックを修了。舞台音響家を経て音楽家へ。民族楽器を中心に国内外の舞台音楽の作曲、演奏や他ジャンルとのコラボレーション多数。地域と人々の多様性に寄り添ったオーダーメイドな音楽ワークショップを各地で展開。淡路島にて野村誠と「瓦の音楽」を2014年より監修。 2020年寺尾紗穂のCD「わたしの好きなわらべうた2」に参加。京都市在住。
https://www.kumikoyabu.com/(外部サイトへ移行します)

(2021年1月15日第二部『碁太平記白石噺』『義経千本桜』観劇)