「いままでは、そんなに好きになることないかなぁとおもってたけど、観終わったあと、人としゃべってると面白さがよりわかるもんやなぁ。」
最も親しい友人が、私より数日先に11月公演を1・2部通しで観劇してきたそうな。
そして観終わってほやほやのその夜、まちあわせた祇園で、鍋をつつきながら友人はそんな事を言いだした。
1部の『心中天網島』、2部の『仮名手本忠臣蔵』。
友人は2部の「山科閑居の段」に興奮していた。
「おかしい人ばっかりやねん!」
この山科閑居の段の物語につながるのが、国立文楽劇場では2016年錦秋公演の『増補忠臣蔵』で、これは三段目の後日譚、今回の九段目の前日譚にあたる。
桃井若狭助(討ち入りのあと引き上げてくる義士のもとに馬で駆けつけてくる彼)を主人公にした物語だ。ここには加古川本蔵が大星由良助に討たれるために虚無僧姿で山科に向かうまでが描かれている。桃井家のお家騒動のサスペンスと、刃傷事件以来の本蔵の物語がメリハリをもって表現されていた。
主人の桃井若狭助のためを想って高師直に賄賂を渡していたこと、刃傷事件の際に師直が命を落とさなければ刑罰が軽くなるのではないかとのとっさの判断で、塩谷判官を「殿中でござる!」と抱きとめた経緯や、彼の心理が細やかにドラマティックに描かれていて、特にラストシーンは感動的で素晴らしかったと記憶している。
友人もこの『増補忠臣蔵』のあとに「山科閑居の段」を観たならば、ストーリー的には続きであるから、そこまで違和感なく観たのかもしれない。
だがしかし。
友人は今回の上演だけしか観ていないのだ。
それまでの登場人物たちの切羽詰まった状況などを前提に持たない状況。
「なんかな、女の子な、自分のお父さん刺されて倒れてんのに、その横で祝言あげてんねん!
しかも、お父さん刺した相手とやで。さらに、せめてお父さん生きてるうちに祝言あげたったらええのに、なかなか祝言あげんと、新郎、討ち入りの作戦会議とかしてんねん。
そんなことしてるうちにお父さん死んでしまいはんねん。ほんで、由良助がなんでか知らんけど虚無僧姿に早替えしてて、ボェ~って尺八吹いて去っていくねんで?!・・・・・・・・・シュールやったわ。。。」
こんな調子で会話ははずみ、ツッコミ放題やったわ!と言いながらも、話しているうちに、シュールだった、というだけではない感想もでてきた。
「史実をこれほどまでに、演劇的誇張がメガ盛りな感じに演出したのってスゴイ。」とか、「江戸時代の人々も、もしかしてツッコミながら観てたんじゃないかなぁ?」「不条理劇ってかんじやな。わざとこういうつくりにしたんやろうか」「サービス精神旺盛な関西人やから、楽しんで見れる工夫を盛りに盛ったんやな。」なんてことを、二人で話していることで、様々な発見があった。
想像はひろがり、楽しい宵を堪能して、いざ私も観劇当日を迎える。
案の定、九段目が終わったあとの休憩で、ロビーのそこかしこで、まったく同じツッコミを女性グループが和気あいあいとされていて、思うことはみんな同じなんだな。。。と、ほくそ笑んでしまった。
「天河屋の段」も、引田天功ばりの由良助の登場がたまらない。討ち入り用の武器が入っているはずの長持から、なんと由良助がとびでてくるのだ。ザッツ エンターテイメント!である。
文楽は、お硬い敷居の高いものではない、楽しみながら、時にはツッコミながら観るものなんだな、と再確認。
そして語りの中「忠臣蔵」と聞こえた瞬間にはやはりグッとくるものがあったし、十一段目、討ち入りを果たした義士たちがずらりと並んだ様子に、なんだか自分も一緒に討ち入ったような清々しい、そして複雑な気分になった。
姿は晴れやかでありつつ「やがてお礼は冥途にて」と、切腹を覚悟している儚さが、涙を誘う。
ちなみに、京都の寺町綾小路下がったところ、聖光寺の門前に「天野屋利兵衛は男でご座る」という石碑があって、以前から、なんやろこれ?と、ずっと気になっていたのだけれど、天河屋義平のモデルになった天野屋利兵衛、更には、大石内蔵助の生母、鞍馬天狗で有名な映画スターの嵐寛寿郎のお墓があることがわかった。
お芝居の世界と、日常の空間がちょこっとクロスすると、ワクワクする。
1部の『心中天網島』、大阪の小春・治兵衛の比翼塚がある大長寺も訪ねてみたい。
17歳で分別があり過ぎではないか、という小春ちゃん。
ダメ男と言われがちな治兵衛さんだけど、生きづらい世の中でがんじがらめになっている人間の姿を、なるべくそうとは気付かれないように、近松は描いているような気がした。
文楽に限らず、『心中天網島』の上演を幾度か観ているが、その度になんでこの二人が死ぬのかわからんかったんだよねー、と友人は言っていた。
そのせいなのか、今回の観劇では、無意識に二人の死ぬ理由を探しながら観ていたのかもしれない。
小春のような、籠の鳥の女郎たちは、つねに死にたいと思っていたのじゃないかしら、と治兵衛に足蹴にされている彼女を観て、想像してしまった。
「痛い」という言葉が、耳に残ってしまう。
『曾根崎心中』と比べて生々しい死だった。
うまく言葉にはできないけれど、以前よりは、この二人の行く末が、腑に落ちたように思った。
そのあたりは、また、友人と飲みながら話さなきゃいけないな。
観劇のあとに、同じ舞台を観た人と語り合うのは、自分の考えを整理したり、感想を言語化してモヤモヤが晴れたり、謎が深まったり、と、その観劇体験をより豊かにしてくれるんだな、とあらためて思った。同じ日の観劇でなくても、観たお芝居について話し合えるのは楽しさを倍増してくれる。
一人で観ると一方向で捉えてしまうことも、友達となら、思わぬ感想が飛び出したりする。
そういえば、高校生の頃、セーラー服で週3回文楽劇場に通っていたころも、なかよしの友達とだったな。
ちなみにこの日の観劇は、1部を、私の心強い応援団長さまと。2部では、お互い忙しくてなかなか会えなかった方と4年ぶりにご一緒できて、とても楽しい一日でした。
一人で、じっくり、が多い私としては、今後はお友達との観劇も増やそうと思った次第。
■たきいみき
舞台女優。大阪生まれ。
主演作に「黒蜥蜴」「ふたりの女」「夜叉ヶ池」(演出:宮城總)、「令嬢ジュリー」(演出:フレデリック・フィスバック)など。野田秀樹作、オン・ケンセン演出「三代目、りちゃあど」では歌舞伎や狂言、バリ伝統影絵などジャンルを超えたメンバーと共演の他、クロード・レジ「室内」、オマール・ポラス「ドン・ファン」など、海外の演出家とのクリエーション作品も多数。
(2019年11月12日第一部『心中天網島』、第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』
(八段目より十一段目まで)観劇)
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