『心中天網島』が、近松の最高傑作と謳われながら、『曾根崎心中』のような人気狂言ではないのは、一つには登場人物の心理にストレートに共感できないから、というのがあるだろう。とりわけ主人公の治兵衛は、なぜこの男に小春が惚れたのか、おさんが身を犠牲にしても尽くすのか、さっぱりわからない「だめんず」である。小春が自分をだましていたと思い込んでは泣き、その小春が太兵衛に身請けされると聞けば悔しさで泣き、おさんが果敢に小春を救うために行動している時も顔を背けて泣いている。この体たらくを見れば、母性本能を掻き立てられるどころではない、失望しか浮かんでこない。
逆に言えば、この男ほどストレートに恋に生きている28歳の妻子持ちの男も珍しい。おさんに申し訳ないと思いながら、結局小春との死を選ぶ。世間の自分に対する評価や、残される者たちの気持ちよりも、小春との恋がすべてなのだ。そう思えば、治兵衛はだめんずというよりも、永遠の少年とでも言った方がいいのかもしれない。人並みに商売の基本や世渡りの術も身に付けてはいるけれど、この男は、何か、それでは満たされないもの、義理だの世間体だのに配慮して言いたいことも言えずに一生を終えることに堪えられない、と思ったのかもしれない。誰もが心のうちに持っていても、いつしか忘れてしまう少年のような純情。でもそれは、彼を巡る二人の女性の、現実に立ち向かう圧倒的な強さから見れば、いかにも幼く思えてしまう。
小春はヒロインなのに動きが少ない。じっと俯き、愁いの表情である。彼女は「北新地河庄の段」で登場した時には、すでに死ぬことだけを思い詰めている。それも、おさんからのたっての頼みで、「身にも命にも換へぬ大事の殿」である治兵衛を諦め、ただ自分だけが死ぬ覚悟を決めている。それも、相手に真相を知らせず、自分はおそらく誤解を受けたままであることをも引き受けて。「誰が文も見ぬ恋の道」とあるが、こんな辛い恋があるだろうか。にもかかわらず、小春は黙って死のうとする。孫右衛門もまだそれに気づかない。「河庄」で迫ってくるのは、そんな孤独な小春の悲壮な覚悟である。
そのことを誰よりも理解したのは、おさんである。治兵衛を巡っては敵対するはずの正妻の彼女。その理由は「女子同士の義理」である。おさんは夫の命を救おうと、小春に手紙で、「女は相身互ひごと…夫の命を頼む」とかき口説く。普通なら、おさんの方が治兵衛の正妻で町屋の女房、社会的地位も子どももあり圧倒的に強い立場である。その人が身分から言えば比較にならない遊女に、プライドを捨てて頭を下げているのだ。小春はそのことに打たれて、「引かれぬ義理合ひ思ひ切る」と約束する。義理とは、受けたものに対し、相応の返礼をすることを意味する。この時代、義理を受けて返さないことは許されない。ならば、自分にとっては命に代えがたい相手であっても、諦めなければならない。その代わり、他の男のものになるくらいなら、死ぬという、もう一つの治兵衛との約束にも忠実でなければならない。彼女の辛い決断は、まさしく遊女としてだけでなく、人間としての義理を通すという意味であったのだ。
おさんは瞬時にそのことを理解する。そして、治兵衛を死なせないで返してくれたように、自分たちも小春を死なせてはならない。もし小春を一人で死なせれば、その義理を果たすことはできず、自分たちは世間から、遊女を犠牲にして自分たちはのうのうと生き延びているという評判を立てられれば、もはや商売を続けることができなくなる。夫の社会的生命も断たれる。だから、おさんが商売のため用意した金を差し出し、自分や子どもの着物まで質に入れても小春を救おうとするのは、単なる優しさや封建時代の道徳からだけではない。「義理を立てる」「夫を立てる」は、この小さい世界で生き延びるための、いわばサバイバル戦術であり、何より名誉を重んじるこの時代にあっては、避けることのできない選択であった。
そしてそのためのたった一つの手段、小春を救おうとするおさんの決断の潔さと行動力には目を見張るものがある。「何言うても跡偏では返らぬ」と言い切る強さ。お金や物は失っても、また働いて取り戻すことができる。しかし命は、失われれば取り戻すことはできない。どれほど悔やんでも遅いのだ。これが、自らの手で商売を守り、家を守ってきた町屋の女房の誇りであり、生き方である。世間を相手にしても「商売の尾は見せぬ」隙のなさ、また申し開きの立つように、極めて現実的な判断を瞬時に下し、ためらいなく実行する。それでも、箪笥から着物を取り出し、一枚一枚その思い出を確かめ、愛おしげにそれを抱きしめるおさんの姿には心動かされる。
小春もまた、自分のために生きることの許されない遊女という立場で、それでも治兵衛を愛する者としての意地と誇りを貫こうとした。そしておさんへの義理を果たせなかったことを詫び、一緒に死ぬことを避けようとした。小春は治兵衛を愛し、またおさんも治兵衛を愛していた。なればこそ、自分は犠牲になっても治兵衛を生かそうとした。この二人は一度も顔を合わせていない。しかし、お互いを最もよく理解し、その真実を示し合った。もしかしたら、この二人は最も良き友になれていたかもしれない、と思えるほどに。そう、ここでは恋に溺れて正気を失っている治兵衛を救おうとする「同志」なのだ。
愛と誇りに生きる女性たちはそれぞれに美しい。今回は出なかったが、最後、治兵衛が樋の口で首をつって、「生瓢(なりひさご)風に揺らるるごとくにて」を見せる演出もある。このみっともなさが、どこまでも現実の見えなかった治兵衛の成れの果てとしてふさわしいのかもしれない。
■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学前学長・特任教授。専門は哲学・倫理学 大阪大学大学院博士(文学)キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。
(2019年11月2日第一部『心中天網島』、第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』
(八段目より十一段目まで)観劇)
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