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文楽かんげき日誌

こころざしを果たして

くまざわ あかね

 「こころざしを果たして いつの日にか帰らん」

 こんなフレーズが頭の中をよぎった、忠臣蔵の幕切れでした。

 今年の4月にスタートした「仮名手本忠臣蔵」の通し上演。約8か月、じっくり時間をかけての観劇は新鮮な体験でした。
 「忠臣蔵」=雪の中の討ち入り=年末、というイメージが刷り込まれていて、文楽でも11月公演でよく上演されている印象がありますが、よくよく考えてみれば劇中の季節は冬だけではありません。

 判官様の無念の切腹は桜の花咲く春先のことですし、六段目の悲劇は夏の雨、暗闇での出来事が契機となっています。はなやかさの中に少しひんやりとした秋風も吹く七段目を経て、雪の討ち入り、と通し狂言で四季があらわされています。4月に判官切腹、7月に勘平の腹切りと、それぞれに合った季節にそれぞれの段を見ることができたのも、今回の企画のおかげであります。この8か月間、一気に全段駆け抜けるのではなく、ゆっくりと時間と季節を刻みながら見ることで、もちろん義士の方のようにずっと討ち入りのことを考えていたわけではないにせよ、忠臣蔵を疑似体験し、またその物語のスケールの大きさに迫れたような気がしました。

 そして今月。
  まずははなやかな道行に始まって九段目の悲劇へと続きます。このあと、戸無瀬も小浪もお石も、女性がみな後家になってしまう、と思うと複雑な気分です。この段のみならず、顔世御前もおかるもおかるのお母さんも、そして天河屋の女房も、忠臣蔵に出てくる女性は誰一人として死にません。おそらく夫の後を追うこともないでしょう。みんな元気にこの世に残って、菩提を弔ったり代々この話を語り継いだりするのでしょうか。

 みなさんおっしゃるように、文楽の忠臣蔵には討ち入りそのものを描いた段がありません。映画やドラマでおなじみの大星由良助が陣太鼓を高らかに打ち鳴らす場面や、清水一学と義士との立ち回りもないのです。あったらステキだろうなぁと思うのですが、そこは三人遣いの弱点でしょうか。スピーディーなアクションシーンは、人形でやると足遣い・左遣いの方がふり回されて大変なことになりそうです。どんなジャンルにも得意・不得意はあるのでしょう。

 それにもともと文楽の「仮名手本忠臣蔵」は、討ち入りをゴールとしてその様子を描くことが目的ではありません。討ち入りに振り回される人々こそが描かれているのです。

 最後の焼香場、功績のあった矢間十太郎に大星がまず焼香をすすめたところ、
「イエ、わたしがそんな、とんでもない」
 と奥ゆかしく辞退するものの「時間がないから早く」と説得されるあたり、今もあるあるやなぁと少しほっこりしてしまうのですがその次。
 「二番焼香は早野勘平に」
 とすすめるのが泣かせます。

 冒頭に書いた
「こころざしを果たして いつの日にか帰らん」
唱歌「ふるさと」の三番ですが、わたしの頭の中では
「いつの日にか、殿の元へ還らん」
 と響いていました。
 大星以下、四十七士は胸を張って殿の元へ行くことができたでしょう。

 だけど。この物語の中では、なにも成し遂げられなかった勘平。
 こころざし半ばに散ってしまった勘平。
 そんな勘平のこともちゃんと見捨てずに、共に義士としてすくい上げてくれる…「二番焼香」の呼びかけには、そんな優しさと救いを感じたのでした。

 世の中、なにかを成し遂げた人ばかりではありません。
 なにも成し遂げられなかった人や、やりたいことをできないまま人生を終えてしまう人も多い。というか、ほとんどの人がそうなのだと思います。

 今回の忠臣蔵鑑賞の前日、大切な仲間である落語家の桂三金さんの死を知りました。
 昭和46年生まれの48歳。
 これから必ず、もっと大きななにかを成し遂げるはずの人でした。

 お芝居を見ているときは、そのお芝居に没頭していても頭の中のどこか一部は覚醒していて、そのときの現実世界での自分の置かれた状況や感情と無縁ではいられません。
 今回も忠臣蔵の世界に浸りつつも、頭のどこかにずっと、三金さんの面影がありました。だからこそ、最後に勘平が救われる場面に三金さんの姿が重なって、泣けて仕方なかったのです。

■くまざわ あかね
落語作家。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2019年11月11日第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』(八段目より十一段目まで)観劇)