いやあ、終わった終わった。国立文楽劇場開場三十五周年記念企画として、4月文楽公演、夏休み文楽特別公演、11月文楽公演と足かけ8ヶ月、3回に分けて『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』が上演され、11月文楽公演をもって大団円、八段目「道行旅路の嫁入」から十一段目「花水橋引揚より光明寺焼香の段」が上演された。通しで見続けて、お腹いっぱい、大満足であった。通し狂言というと、昼夜公演を使って一日でやるのが通例で、3回に分けるという案には当初関係者の間で反対もあったそうだが、蓋を開けてみると大成功、毎回大入り大盛況であったということで、よかったよかったなのである。
3回に分けられたことでもう一つよかった点は、昼夜公演だと時間の関係でかからない段も上演されたことである。11月公演で言えば、十段目「天河屋の段」が久々に上演されたこと、十一段目は普通「花水橋引揚の段」か「光明寺焼香の段」のどちらかが上演されるのだが、今回は両方続けてかけられたことである。
さてその「光明寺焼香の段」では、大星由良助の差配により、一番焼香は高師直を屋敷の中で見つけ出した矢間十太郞となった。そして二番焼香をご家老に、と勧められて、由良助は意外な人物の名を口にした。つまり山崎のおかるの家で切腹して果てた早野勘平こそ二番焼香に相応しいといい、代理として、義兄の寺岡平右衛門に焼香を促した。並み居る義士たちも一同納得の体であった。
見ている私は大いにびっくりであった。だって、おかるの軽率な行動が刃傷事件のきっかけにはなっていたし、勘平はおかるとの情事の故に主君の大事の場に居合わせることができなかったのではなかったか。しかも勘平は、自分のために嫁のおかるを遊郭に売った義父を、自ら手に掛けたとの思い込みで切腹、討ち入りに加わることもできなかった人物である。どんな論理でこの期に及んで二番焼香、と頭の中が大混乱であったが、落ち着いてよく考えてみると、文楽の『仮名手本忠臣蔵』の論理としては、しごくまっとうな判断だったと気がついた。忠臣蔵以降の近代の舞台、映画、講談、浪曲等のさまざまな忠臣蔵やその外伝を一度忘れて、竹田出雲、三好松洛、並木千柳が書き、この8ヶ月の間に上演されてきた『仮名手本忠臣蔵』をもう一度思い出してみよう。
忠臣蔵の登場人物を、係累や役割によってグループに分けてみると、〈塩谷判官、顔世御前〉、〈高師直、鷺坂伴内、斧九太夫、斧定九郎〉、〈大星由良助、力弥、お石〉、〈原郷右衛門ほか志士たち〉、〈早野勘平、おかる、寺岡平右衛門〉、〈加古川本蔵、桃井若狭助、戸無瀬、小浪〉、〈天河屋義平、おその、了竹〉等となるが、この中で主筋を張るのが大星由良助ライン、早野勘平ライン、加古川本蔵ラインであることはすぐに察せられる。橋本治氏(おしくも2019年1月になくなられた)が名著『浄瑠璃を読もう』(新潮社、2012)でお書きになっていたように、この劇は“仇討ち”がテーマなのではない。仇討ちの隙間を見つけて参加したい町人のための劇であり、仇討ち劇の周りで、ひたすら“遅れ続け”、“ずれ続け”た人々の奮闘と苦難の物語なのだ。そもそも、義士たちの頭目であるべき由良助自身が四段目で主君の切腹にぎりぎり間に合ったあとは、七段目では「遊郭で遊ぶ人」と「忠義一途に凝り固まった恐い人」の二重人格者、後の段ではひたすら整理役で特に魅力はない。最もその人間的魅力を浄瑠璃の曲節、舞台の人形たちによって輝かせていたのは、なんと言っても早野勘平、おかるとその家族、そして加古川本蔵とその家族であった。
さて、十一段目である。花水橋引揚の段では桃井若狭助が颯爽と登場して、加古川本蔵ラインの物語を思い出させてくれた。そして光明寺焼香の段。ここでは是が非でも、早野勘平・おかるのラインを舞台に登場させなければ、『仮名手本忠臣蔵』は終わらないのである。長い長い忠臣蔵の大詰めとなる十一段目は、決して討ち入りの現場を見せる舞台ではない(文楽では、討ち入り場面は上演されることもあるが、カットされることの方が多い)。物語を盛り上げてくれた加古川本蔵や早野勘平たちを今一度思い出すための、カーテンコールのような一段なのであった。
■金水 敏(きんすい さとし)
大阪大学・文学部教授。1956年、大阪生まれ、兵庫県在住。専門は日本語史および「役割語」研究。著者に『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、2004。新村出賞受賞)、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003)、『〈役割語〉小辞典』他。
(2019年11月8日第一部『心中天網島』、11日第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』
(八段目より十一段目まで)観劇)
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