人の悪口をいうたらあかん。しかも書いて残したりしたらもっとあかん。
文字には力があって、音には言霊が宿るときく。
それをネガティブに残してしまえば、それ相応の力がはたらいてしまう。
このお話の場合はそれ相応以上なのかもしれない。
菊野は仁三郎への恋文に添えて初右衛門の内緒の悪口を書いたつもりが、運悪く初右衛門の手に渡る。手紙を拾った初右衛門の若党の伊平太はしかも「怒ったらだめですよ、」なんて前置きをしながらもそれを読み上げてしまう。怒ることが想像できているにも関わらずそれを読む伊平太のほうにも日頃の上司へのなにかが積もっていたのかもしれない。初右衛門は不運なことに悪口を書いた手紙を見てしまうだけでなく、初右衛門のふるまいをネタに大笑いしている舟に乗った一行が通りがかるのに出くわす、という最悪の事態もおまけでついてくる。
“胸の空鞘打ち割りし、心の寝刃研ぎ澄まし、川辺伝ひに (ここでシーンが切り替わる)
〽︎蛍火に思い焦がれて身を焦がす、今日の現も明日の夢、昨日は今日の夢となる”
初右衛門の殺意がメラメラと立ち上がり、全部ぶっ壊してやる、って言ってるような心の叫びがする。舟を見ながらきっともう心の中では決めていたんだろう。
二日二夜張り裂けるような胸の内。
その間にどのようにふるまい、どのように斬るかもきっと考えながら。初右衛門のなかで鬼が育っていくような、すーっとした静かな動きに余計に鳥肌が立つ。
手紙よんだよ、と二人を呼びつけて、言いたいことはいうけれども、最終的には寛大な態度とともに器の大きい男とみせ、薩摩へ帰ると言って去る。そして斬る。
彼の中ではもうすでにこういうシナリオだったのだろう。
そんなときに仁三郎のところに許嫁のおみすが来て、菊野は気を使って仁三郎とおみすを二階の部屋にして、自分は一階の部屋でひとり寝る。菊野の中にも本音と建前とを行き来する複雑な心情が見える。こんなことがあった日に愛する人のうんと側にはいられない自分の立場にもどかしさを感じているに違いない。
そこへ、もう何も失うものはないと、頭の先から足の先まで鬼のようになってしまった初右衛門が夜中に忍んでくる。
ここから先は人形だから見せられるシーン。いや、人形とはいえ目を覆うような惨殺シーンがはじまる。鑑賞に来ていた学生さんたちの中には顔を伏せる子もいた。
舞台上は暗いという想定でも、観客にはすべてが見えている。それがまた怖い。
人形から出ている血が赤い布だってこともわかってる。人形に想像力を掻き立てられて、そして太夫さんの振り絞る声と三味線の音にドライブされて、なにがなんだかわからなくなっていく。
全てが終わったあとを洗い流すように、雨が降ってくる。
ものすごく生々しく水の流れる音がする。
傘をさし、悠々と歩いていく初右衛門は自分なのか自分じゃないのか何者なのかわからないようなふわりふわりとしたような足取りで、歩いているとは思えないような足取りで退場していく。
わたしもふぅと息を吐く。
この日は文楽を見たことがないという建築家の友人を伴って観劇した。
人の住まいを作る人の視点で見る文楽劇場のしつらえを改めて楽しむことができた。舞台上のセットが2分の1のスケールで作られていること、文楽劇場のエントランスのドアの取っ手(桂離宮の襖引き手)など今まで当たり前に目にしていた箇所への素敵なフォーカスの数々。文楽の楽しみ方はまだまだたくさんあるね、と話しながら大阪の街をあとにした。
■やぶくみこ
音楽家/作曲家。1982年岸和田生まれ。英国ヨーク大学大学院コミュニティーミュージックを修了。舞台音響家を経て音楽家へ。東南アジアや中東の民族楽器を中心に国内外の舞台音楽の作曲、演奏や他ジャンルとのコラボレーション多数。2015年にガムラン・グンデルによるソロアルバム「星空の音楽会」。2016年に箏とガムランと展覧会「浮音模様」を美術家かなもりゆうこと発表。即興からはじめる共同作曲の活動にも力をいれている。京都市在住。
(2019年7月20日第三部『国言詢音頭』観劇)
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