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国立文楽劇場

おりくとおかる

黒澤はゆま

名作『一夢庵風流記』『影武者徳川家康』を著した歴史小説家、隆慶一郎氏のエッセイに「時代小説の愉しみ」というものがある。

もともと脚本家だった隆氏が、テレビドラマで忠臣蔵を取り上げた際のエピソードだが、作品作りのため調査を進めていくうちに、隆氏は奇妙な疑問を抱いたという。

大石内蔵助は開城後、赤穂に留まり、長期間、残務整理をしているのだが、一方で、山科に家を構え、妻子は早々に送り出している。

隆氏は初めその理由が分からなかった。

別に赤穂が妻子にとって危険になったわけでもなく、妻の目を隠れて女遊びをしたわけでもない。同士と討ち入りの謀議をしたという事実もない。嫡子の主税と男二人だけの暮らしでは、さぞ不便だったと思われるのに、一体何故?

その疑問は、史料を渉猟していくなかで、氷解する。

実は内蔵助の妻、おりくは、近在で祭があれば、飛び出ていく、お祭り大好きな女だったのだ。彼女が赤穂を発った日は、船便で大阪に着くと、ちょうど天神祭に間に合う日取りにあたる。つまり、内蔵助は、祭り好きな妻に、日本三大祭の一つである天神祭を見せてやるため、早々に赤穂から送り出してやったのだ。実際、大石家で書生をしていたものが、おりくと子供を案内して、天神祭を見物したという記録も残っているという。

そして、この事実から、隆氏は内蔵助の心理もおもんぱかる。

つまり、彼はこの時すでに吉良邸討ち入りの覚悟を決めていたのだ。

仇討ちを果たした後、自分たちがどのような運命を辿るかも、十分に分かっていた。そして、それは、妻子への連座も免れないことだった。

実際、仇討ちの後、おりくは親せきの家に永代お預けになっている、と隆氏は言う。

お祭り大好きな妻が、もう祭りを見れなくなる。

哀れだ。不憫である。

せめて、一生の思い出に、天神祭を見せてやりたい。

内蔵助の心底には、そんな妻への優しく、悲しい思いやりがあったというのである。

今回、観劇した『仮名手本忠臣蔵』五段目から七段目のおかるの姿に、私はこの隆氏のエッセイでのおりくを重ね合わせていた。

『仮名手本忠臣蔵』の五段目から七段目は、いわば仇討ちに巻き込まれ、運命を狂わされる人たちの物語だが、そのなかでも主軸となっているのがおかるである。

おかるはこの物語のなかで様々な姿で登場する。

初めは塩谷判官高定の腰元だった。彼女は、家来の侍、早野勘平と恋仲だったが、その逢瀬の最中に、判官が刃傷事件を起こしてしまう。結果、面目を失った勘平とともに、自身の実家山崎に駆け落ちする。

二度目は山崎の実家で父母、そして勘平と暮らす人妻の姿である。勘平は猟師となって世過ぎをするのだが、内心では仇討ちに参加したがっている勘平の心底をおもんぱかり、両親と相談の末、おかるは遊女となることを決心する。仇討ちの資金を稼いでやるためである。

しかし、父与市兵衛は、身売りの代金を持って帰る途中、山賊の斧定九郎によって殺され、さらに、その定九郎はをイノシシと間違えて勘平が射殺してしまう。勘平は定九郎の懐に財布を見つけ、それが義父与市兵衛から奪ったものとも知らず、仇討ちの軍資金にするため、これ幸いと我が物にする。

そんなことになっているとも知らず、おかるは遊女として売られていくのだが、その後、勘平は、義母や塩谷浪士の原郷右衛門、千崎弥五郎から与市兵衛を殺して金を奪ったと責め立てられた末、身の潔白を晴らすため切腹する。

三度目は遊女の姿である。あでやかな衣裳に身を包んだおかるは、放蕩を装う大星由良助の書状を盗み見し、酒色におぼれるのは敵を欺く仮の姿で、その実、仇討ちを決してあきらめていない真意を知る。だが、そうと気づいた由良助はおかるにふざけ掛かり、身請け話も持ち出しながら、おかるを口封じしようとする。

一方、おかるはそんな由良助の底意にも気づかず、身請けの後は、勘平に会えると無邪気に喜ぶ。

しかし、そこに現れるのが、兄の平右衛門。彼はおかるの話を聞くと、たちまちのうちにその魂胆を察する。そして、おかるに斬りかかると、命乞いするおかるに、勘平と父がすでに死んだことを打ち明ける。

敵討ちに参加したい平右衛門は、由良助の望む口封じを自身で行うことで、手柄をあげようとしたのだ。一方、父と夫の死で絶望したおかるは、兄の手を煩わすよりは、むしろ自害しようとする。

場面が緊張の極に達した刹那、放蕩姿から一変、衣裳を紫からシックな黒色に改めた、由良助が登場。二人をいさめた後、平右衛門の仲間入りを許し、縁の下で密偵をしていた九太夫をおかるに討たせる。

以上が、『仮名手本忠臣蔵』のおかるに関するざっくりとしたまとめである。

小娘然とした腰元⇒世話女房⇒艶やかな遊女。

この物語のなかで、大和撫子七変化とまではいかないが、三変化はしている。特に、最後の遊女の時は、遊廓の水にしっかり慣れ、まんざらでもないような様子なのがおかしい。

そういえば、由良助も史実の大石内蔵助も、敵の手を欺くために花街で遊び惚けたと言われてますけど、本当なんですかねぇ? あれはあれで彼の地金で、別に泣く泣くではなく、楽しんでやっていたというのが、真実に近いんじゃないでしょうか。

その証拠?に、『仮名手本忠臣蔵』でも、由良助とおかるの掛け合いは、ぴったり息があって、夫婦漫才のように面白かった。それにしても、梯子の下からのぞいたら、女性のあの部分は、洞庭の秋の月様のように見えるんですね。勉強になりました。

おかるのキャラクターに特定のモデルはいないようだが、その名前は、大石内蔵助が祇園でなじみにしていた遊女から取られているという。

考えてみれば、おりくのように、夫や恋人、あるいは愛人が、敵討ちに参加したため、運命を狂わされた女性は、四十七士の数分、いやそれ以上にいただろう。

おかるが、殿様の切腹にせよ、父と夫の死にせよ、事件は大抵、預かり知らぬ間に起きていて、結果のみ後から知らされて茫然とするように、彼女たちにとっても「赤穂浪士討ち入り」は、天災のように降りかかり、どうすることも出来ない事件だったに違いない。

おかるがそのキャラクターを作中次々に変えているように見えるのは、彼女が赤穂浪士の関係者の女性の象徴だからなのだと思う。彼女はたった一人で、浪士の妻、愛人、恋人を演じなくてはならなかったのだ。

また、どの役柄でも、役目をしっかり務めていて、どこか楽しんでいるようにすら見えるのは、討ち入りに巻き込まれた女性たちの無力なようでいて、運命に対する順応性、案外な強かさを象徴しているのかもしれない。

冒頭、隆氏は討ち入り後、おりくは親せきの家に永代預かりになったと書いていたが、実際は、浪士の親族は各藩から引く手数多で、おりくの三男、大三郎も広島藩に千五百石という高禄で召し抱えられている。

彼女自身も隠居料として百石を支給され、六十八歳で安穏に生涯を終えた。

お祭りに行こうと思えば、いくらでも行けたと思うが、彼女が討ち入り後もお祭り娘だったか、それとも、夫が万感の思いを込めて送ってくれた天神祭以上のお祭りはないと、二度と行かなかったかまでは、史料も語ってくれない。

いずれにせよ、『仮名手本忠臣蔵』というお祭りも、次回の秋公演でいよいよ、クライマックスの討ち入りである。

数多の人々を巻き込み、様々な悲喜劇をはらみながら、物語はどのような終局に至るのか?

今から夢見るように待つほかない。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2019年8月3日第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』(五段目より七段目まで)観劇)