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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの夕べ
「明日、誰かに話したくなる文楽~文楽人形の魅力~」

開催日:平成28年11月29日(火)
場所:伝統芸能情報館3階レクチャー室

文楽人形遣いの吉田玉翔さんと、日本をこよなく愛するタレントのダニエル・カールさんをお迎えして、文楽人形の魅力をたっぷり語っていただきました。昨年五月に行われた外国人向け文楽公演「Discover BUNRAKU」での解説で会場を沸かせたおふたりだけに、今回も笑いの絶えない名コンビぶりを披露してくださいました。


吉田玉翔さん              ダニエル・カールさん

初代玉男師匠に入門

「Discover BUNRAKU」では義太夫から人形の解説まで、汗だくの大奮闘だったダニエルさん。アメリカ生まれながら日本での暮らしは計三十八年、今では「納豆と漬物と蕎麦がないと生きていけない」ほどだとか。「英語を話すほうが大変です」と笑います。解説では特に「黒衣(くろご)」「義太夫」などの役割を英語でどう説明するか、人形遣いでも「主遣い」「左遣い」「足遣い」の違いをいかに伝えるかなど、大変苦労したそうです。


山形弁で場を明るく盛り上げるダニエルさん

十二月の国立劇場文楽公演『仮名手本忠臣蔵』では十段目「天河屋の段」で大鷲文吾を勤めた玉翔さんは、高知県生まれ。もともとは野球少年でしたが、伝統芸能好きな母親に連れられて大阪に文楽を観に行き、初代吉田玉男師匠の楽屋を訪ねたのが中学生の頃でした。それから時おり文楽を観るようになり、特に玉男師匠が俊寛を演じた『平家女護島』に感銘を受けます。「島に一人取り残される場面で、俊寛というより玉男師匠がひとりぼっちになったような気がしたんです。それから興味を持つようになって、一人でも大阪に行くようになりました」。

高校卒業後は料理人の道を考えていたものの、平成五年(一九九三)、高校三年生の夏に入門。「とにかく玉男師匠が好きだったんです。普段は本当に普通のおじいさんという感じで(笑)、人間味のある方でした。師匠が高齢になってからの弟子だったこともあって、可愛がっていただきました」。玉翔さんの入門時には、二代目玉男(当時は玉女)さんが「何かあったら自分が面倒を見るから」と、弟子入りを後押ししてくださった秘話も明かされました。


貴重な弟子入りの秘話を語る玉翔さん

<師匠愛>に共感

若き日に新潟県佐渡島の伝統芸能である文弥人形(ぶんやにんぎょう)の伝承者、浜田守太郎さんの下で修業した経験を持つダニエルさんも、玉翔さんの〈師匠愛〉の強さには大いに共感を覚えたようです。「僕は浜田先生に佐渡弁でよく『ダニエル、だーちかん』って言われたんです。どういう意味かわからなかったけれど、先生は佐渡弁しかしゃべれないから、『だーちかんは、だーちかんだ』と話が進まない(笑)。後で訊いたら〈埒があかない〉〈ダメだ〉という意味でした。当時、僕は二十歳前後で、先生は八十歳。文弥人形芝居を残したいと長年頑張って弟子をたくさん育てた方です。女方も立役もオールマイティにこなすすごい先生で、玉翔さんと同じように、僕も師匠に惚れていました」。昭和四十七年(一九七二)に国立劇場で行われた文弥人形の公演『源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)』における浜田さんの貴重な映像も、短い時間ながら皆さんにご覧いただきました。


<20代の頃のおふたり>玉男師匠に指導を受ける玉翔さん

<20代の頃のおふたり>文弥人形を遣うダニエルさん

玉男師匠との思い出

またスライドでは、進行役の小川知子さんが撮影した若き日の玉男師匠と玉翔さんの一コマも登場。若手研究会の公演時に玉翔さんが玉男師匠の指導を受けているところで、若手の中で一人だけ自分から教えを乞う玉翔さんの姿勢を玉男師匠が褒めていたことを、小川さんは鮮やかに覚えていました。「僕も二十歳ぐらいでしたし、まだ技術的なことを教わる段階じゃなかったと思います」と振り返る玉翔さん。「入った頃は『お前なんか足遣いちゃうわ、〈足持ち〉や』と言われてました。師匠はわりと細かくて、棒足(人形の片足を曲げて片足を大きく踏み出す型)でも『33°に出せ』なんて言われるんですが、こちらはわからない(笑)。勉強好きで、字も達筆。自前の人形の胴には〈TAMAO〉とローマ字で書いてありました。『わし、英語書けんねん』って」。玉翔さんがパリ公演に同行した際には、玉男師匠が大好きなニシン蕎麦を日本からわざわざ持参し、ここぞという時に師匠にふるまおうとしたところ、「なんで海外まで来てニシン蕎麦食べなあかんねん」と言われてしまったとか。微笑ましい師弟のやり取りが目に浮かびます。

修行の厳しさの先に

文楽人形の最大の特徴は、主遣い、左遣い、足遣いの三人で動かす点にあります。「三人が息を合わせるのは難しいですか」というダニエルさんの質問に、玉翔さんは、腕力ではなく腰を使って人形を持つコツ、主遣いが出す動きのサインを覚えるまでに長い時間が必要であることなど、一人前の主遣いになるまでに「足十年、左十年」と言われる修業について話してくださいました。近年では足、左それぞれ二十年ずつと修業期間も長くなる傾向にあり、「師匠に理由を訊ねたら、『寿命が延びたからや』って(笑)」。そうした長い修業を重ねて、徐々に主遣いを任されるようになっていくのです。

「伝統芸能の修業は『見て、覚える』ことが基本ですね。何度も失敗するうちに、師匠が『悪くねぇ』と言ってくれれば、自分でも満足感を得られますよね」とダニエルさんが語れば、玉翔さんも「師匠によく言われたのは『芸を盗め』ということ。厳しくなければ成長できませんし、緊張感があるからこそ、うまくいけば余計にうれしいんです」と応じます。


ダニエルさんも文楽の人形遣いに挑戦

会場からの質問にもユーモアを交えて気さくに答えてくださった玉翔さんと、日本の伝統芸能に対する深い理解をもとに、興味の尽きないお話を引き出してくださったダニエルさん。おふたりの飾らない人柄も相まって、和やかな「あぜくらの夕べ」となりました。

(取材・文/市川安紀)

あぜくら会ではこれからも会員限定の様々なイベントを開催してまいります。皆様のご参加をお待ちしております。

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