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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い「尺八の魅力~『稀曲の会』にちなんで~」を開催いたしました

12月3日のあぜくらの集いでは、同月21日に開催される「稀曲の会 隠れた名曲の魅力」で『一閑流六段(いっかんりゅうろくだん)』を演奏する尺八奏者の善養寺惠介氏を迎え、日本の伝統楽器である尺八の特徴や歴史、魅力を語っていただきました。聞き手は「邦楽ジャーナル」編集長の田中隆文氏です。実演を交えた分かりやすい解説に、来場者の方々も尺八の奥深い世界に引き込まれていきました。

田中 隆文さん
田中 隆文さん
善養寺 惠介さん
善養寺 惠介さん

シンプルな作りだからこそ自由度が高い

尺八は、根元から節を7つ含むように切り出した真竹に、指で押さえて開閉する「指孔(しこう)」と、息を吹き込む「歌口(うたくち)」、また下部の管尻に穴を開けた、非常にシンプルな作りの楽器です。指孔は表に4つ、裏に1つの5つのみ。それらを時に半分、あるいは3分の1だけ開けながら、さまざまな音を表現していきます。「歌口が他の管楽器と比べて非常に大きいのも尺八の特徴です。大きいということは、色々な角度から吹けるということ。その角度によって音色も音の高さもすぐに変わってくるんです。『首振り3年』という言葉があるのもそのため。尺八はシンプルな作りですが、そのぶん扱える音がとても多様で、自由度の高い楽器。言ってみれば複雑な人間の声に近い楽器だと僕は思います」と善養寺氏は語ります。同じメロディーでも奏法によってまったく印象が異なる尺八の奥深さを、善養寺氏による演奏も随所に挟み教えていただきました。

尺八の歴史 修行の道具から音楽を楽しむための楽器に

尺八の歴史についてもお二人から分かりやすい解説をしていただきました。現在演奏されている尺八は、江戸時代に確立した「虚無僧尺八(こむそうしゃくはち)」と呼ばれるもの。奈良時代に雅楽の楽器として中国から入ってきたのが始まりで、正倉院にも当時の尺八が収められています。しかし、雅楽に使われなくなって以降の歴史の詳細は明らかになっていません。その後、中世で「薦僧(こもそう)」と呼ばれる物乞いと吟遊詩人の掛け合わせのような僧が尺八を吹いていたとのこと。そこから変化していった「虚無僧(こむそう)」という僧が、江戸時代に「普化宗(ふけしゅう)」という禅宗の一派を名乗り、幕府の庇護のもとで尺八を独占しました。この時代の尺八は、楽器ではなく、「吹禅(すいぜん)」と呼ばれる座禅に代わる修行の手段だったのです。したがって、虚無僧寺の許可がないと正式には吹奏できませんでした。しかし江戸時代も後半になると町人たちも演奏するように。明治になって普化宗が廃止されると、尺八はより一層普及し、その音楽性を高めていきました。

幻の根笹派錦風流(ねざさはきんぷうりゅう)『一閑流六段』

尺八の二大流派といわれているのが「琴古流(きんこりゅう)」と「都山流(とざんりゅう)」です。関東以西では一音をまっすぐ伸ばすことが多かったのですが、東北に伝播していくにしたがい、より情緒的な演奏になっていきました。それが弘前に入ると、息をはっきりと切り刻むようなより激しい吹き方になります。これを「コミ吹き」と言います。12月邦楽公演「稀曲の会」で演奏する『一閑流六段』の「一閑流」は、初世黒沢琴古から始まる琴古流の流れを汲んだ、宮地一閑の名前に由来します。この曲は彼が箏曲の『六段の調』を尺八に移曲したものと言われています。しかし、それは弘前(今の青森県)の「根笹派錦風流」という一派にしか伝承されませんでした。聞き手の田中さんすら聞いたことのない、まさに幻の稀曲に公演への期待が高まりました。

シンプルな作りだからこそ自由度が高い

3名の希望者による体験コーナーでは、皆さん初めて触れる尺八に四苦八苦しながら大奮闘。尺八は音を出すのが難しい楽器なだけに、少しでも音が出たときの喜びはひとしおだったようです。見守る会場も大いに沸きました。

知ってそうで知らない尺八の世界。実演や、幅広い話題を交え、尺八をよく知っている方も、なじみの薄かった方も楽しめるひと時となりました。

あぜくら会では今後もこのような伝統芸能への理解を深める会員限定イベントを企画してまいります。皆様のご参加をお待ちしております。

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