国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い 「豊竹英大夫を迎えて」を開催いたしました

豊竹英大夫さん
豊竹英大夫さん

8月27日、豊竹英大夫さんをお迎えして、「あぜくらの集い」を開催いたしました。葛西聖司さんを聞き手に、文楽大夫としての歩みをお話しいただくと共に、参加者の皆さまに文楽の「語り」を体験していただくワークショップも実施。英大夫さんの熱のこもった指導に、会場も大いに沸きました。

文楽大夫としての歩み

十代目豊竹若大夫の孫に生まれ、文楽の大夫として46年。古典はもとより新作文楽の上演、海外普及活動にも意欲的な豊竹英大夫さんが、この道に入ったのは20歳の時でした。スポーツマンの青年にとって、それは「座りっぱなしの仕事」という未知の世界。
「小さい頃はよく楽屋にいてお菓子をもらったこともありましたが、中学1年生で家族と上京してから文楽とは無縁でした。クラブ活動は水泳部。平泳ぎが得意で、肺活量を鍛えたのが大夫になって役立っています。祖父が亡くなった時、(豊竹)呂大夫兄さんが僕の声をほめて『雄ちゃん(本名・雄治)、大夫になり』と、勧めてくれたのがこの道に入るきっかけでした。」と入門のきっかけを語られました。
また入門後については「世襲制度のない文楽では祖父、親も関係なく、厳しいことも言われます。芸は一代と言いますが、そのとおりですね。入門後、稽古で浴衣姿の師匠(三代目竹本春子大夫)が目の前に座り、弾き語りで『今頃は半七っつぁん』と「酒屋」(『艶姿女舞衣』)を聞かせてもらった時に『これはすごい。ええなぁ!』と心から思いましたね。稽古は厳しかったけれど、あんなに感動したのは初めてです」とのことでした。

浄瑠璃文字に親しむ

葛西聖司さん 豊竹英大夫さん
葛西聖司さん      豊竹英大夫さん

『義経千本桜』「道行初音旅」から忠信が壇の浦の合戦を物語る場面の床本をもとに、浄瑠璃文字に親しみました。「陸」を「くが」、「出る」を「いづる」など、独特の読み方を踏まえて全員で“朗読”。一見、毛筆の難解な文字ですが「まず平仮名から。よく出てくる語句は、文字の形で覚えます」など、英大夫さんからアドバイスがありました。
「義太夫文字を読むのと、稽古で長く正座するのが本当に辛かった(笑)。でも、この墨文字と出会った瞬間、とてもフレッシュな感動を覚えました」と英大夫さん。葛西さんも「以前、アナウンスの勉強で義太夫を稽古しましたが、床本を開いた時は新しい言葉に出会った思いでした」。

白熱の義太夫体験

英大夫さんの熱心な指導のもと、参加者全員で『傾城阿波鳴門』のお鶴のセリフ「父(とと)さんの名は十郎兵衛。母(かか)さんはお弓と申します」と『絵本太功記』武智光秀の「さすがの久吉よく言ったアり」の、有名な詞二題を語る義太夫体験を行いました。

参加者も、最初はなかなか英大夫さんのような大きな声は出ません
参加者も、最初はなかなか英大夫さんのような大きな声は出ません
英大夫さんの熱のこもった指導に、皆さん、だんだん発声がよくなっていきました
英大夫さんの熱のこもった指導に、皆さん、だんだん発声がよくなっていきました

道を究める厳しさ

葛西さんの「いろいろな師匠から教わったなかには、言葉にしにくいこともあるでしょうね」という質問には「越路師匠(春子大夫没後に師事した竹本越路大夫)に言われたのが『わしとお前では喉が違う。わしが得た方法もまた違うから、自分の特徴を出すように。』生まれつきの声で勝負するのでなく、鍛練してつくり上げた自分の“息”が大切なんですね。三味線弾きさんには楽器、人形遣いさんには人形がある。大夫は何もないので、ここ(喉)に楽器をつくるんです。喉をつぶしていって、20年ぐらいかかる」と、英大夫さん。道を究める厳しさが垣間見えるお話もしていただきました。

参加者からは、「義太夫の発声練習が楽しく、大夫の息遣いを体験できた」、「英大夫さんの飾らない人柄を知ることができ、身近に感じた」などの感想をお寄いただきました。

「あぜくら会」では、伝統芸能を身近に感じていただける機会をより多く設けられるよう、
今後もさまざまなイベントを企画してまいります。皆様のご参加をお待ちしております。

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