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国立文楽劇場

文楽のキラーコンテンツ

有栖川 有栖

劇場やコンサート会場で最もよい席はどこか? それは一概に決められない。通路側が好きな人もいれば、できるだけ真ん中がいい人もいる。大好きな歌手や役者さんを食い入るように観たければ最前列がベストだし、じっくり音楽を聴きたいのなら音が最もよく響く席を選ぶ。
文楽の場合はどうかというと、やはり人によって好みは分かれるだろう。人形をたっぷり観たいなら前の方がいい。舞台全体がよく観えて字幕も読みやすいのは、ある程度後ろの席。また、「浄瑠璃をできるだけ味わいたい」という人なら、舞台右手の床に近い席がいいのは言うまでもない。座席によって、同じ文楽でも印象が大きく変わるものだ。

さて、初春公演の話。
『団子売』『ひらかな盛衰記』『本朝廿四孝』を床の近くの席で観た。浄瑠璃を浴びるように聴けて、人形もよく観られるおいしいポジションである。例年のとおり二匹のにらみ鯛と大凧が舞台の上に飾られていて、幕が開く前からお正月の劇場の雰囲気を楽しんでいたら――。 若い外国人のお客さんが七、八人やってきて、私の前の列に座った。文楽劇場で外国人の姿を見るのは珍しくないどころか、いつ行っても必ず見かけ、「どうぞ大阪で文楽を楽しんでください」と思うのだが、ちょっと心配したりもする。

人形劇としての素晴らしさはどこの国の人にも伝わるだろうし、三味線の音色に新鮮な感動を受けてもらえるとしても、古い日本語で語られる浄瑠璃のよさを理解してもらえるだろうか、と。下調べをして粗筋ぐらいは頭に入れていたとしても(劇場には英文のチラシも置いてあり、彼らはそれを手にしていた)、映画二本分近い長丁場だから。動きの少ない場面で退屈しないか、気を揉んでしまう。
右隣は、東京方面からきたらしい女性二人連れ。一人が文楽にくわしいようで、もう一人にミニ解説をしていたので、こちらは安心である。理想的な組み合わせだな……って、私が周囲によけいな気を遣う必要はないのだが。

まずは『団子売』。題名どおり餅を搗いて団子を売り歩く夫婦が登場する。複雑なストーリーのない短いものなので、外国人でも「わけが判らん」ということはないだろう。異国風景のスケッチを観るように楽しんでもらえたのでは、と相変わらず前列のお客さんを気にしながら観る。

『ひらかな盛衰記』(松右衛門内の段・逆櫓の段)はスリリングな展開をするのだが、さすがにこれは日本語が判らないと面白さが味わいにくい。それでも「逆櫓の段」でいきなり青々とした海原の船上へ場面が変わり、梶原景時に正体を見破られた松右衛門(実は樋口次郎兼光)が立ち回りを演じるところなど、文楽のダイナミックさが伝わったはず。
余談ながら、平家討伐に四国へ向かおうとする源義経と梶原景時が「負けそうになったら逃げやすいよう船をバックさせる櫓をつけるって、どうよ」「なんだよ、そういう備えも要るだろうが」と喧嘩をしたのは、この「逆櫓の段」にあるように摂津国の福島。私は以前、用事があって中之島の朝日放送に行ったものの、早く着きすぎて近くをうろついていたら、「逆櫓の松址」と刻まれた碑を見つけて「おっ、ここか」とうれしくなった。九百年ほど前の大阪は、あのあたりも浜だったのだ。

そして、最後はいよいよ『本朝廿四孝』(十種香の段・奥庭狐火の段)。「いよいよ」というのは、吉田簑助さんが操る八重垣姫と対面できるからで、その八垣姫こそ私の「憧れのお姫様」だ。
簑助さんの八重垣姫を初めて観たのは、平成十七年の通し狂言。それまで「文楽って、なかなかええな」ぐらいに思っていた私のハートを射抜いたのが八重垣姫である。きれい、可愛い、いじらしいだけでなく、「奥庭狐火の段」では諏訪法性の兜を守護する白狐たちの霊力を得て、ロックの歌姫のごとく過激に弾ける。そのカッコいいこと。――はっきり言って、ほとんど恋しています。 登場シーンからすごいのだ。八重垣姫は、許嫁だった武田勝頼が死んだと思っていて、命日に絵姿の前で冥福を祈っている。後ろ姿で座っているだけなのに、私は「えっ……」と驚いた。まるで「人間のようだ」をはるかに超越するリアリティが胸にぶつかったからだ。芸の力に圧倒された。

「十種香の段」は演出も見事だ。正体を隠した勝頼(素性を偽って御殿に入り込んでいる)を真ん中にし、その両側に設けられた二つの座敷で八重垣姫と腰元の濡衣が交互に語るという左右対称性の面白さ。紗が張られた障子越しに八重垣姫が夢のように浮かび上がるという映画も顔負けの特殊効果。文楽=古典芸能だから古くさいという思い込みをしていたら、唖然とするだろう。
前の列のお客さんたちは、さすがに少し飽きてきている気配も漂わせていたのだが、八重垣姫が座敷の外の声に、ちらりと振り向くあたりで反応を示した。一人の女性など、ぐいと身を乗り出したほど。それをされると後ろの席の人に迷惑なのだが、とても判りやすいリアクションだ。それ以降は、舞台に魅了されたのに違いない。

「奥庭狐火の段」は、人形遣いが舞台を駆け回る激しい段だ。オカルト、ロック、アクション(敵が現れるどころか姫しか登場しない場面なのだが)。簑助さんが「十種香の段」に続けて操るのはへヴィーなので、ここは桐竹勘十郎さんが受け持つ。
初めて観る勘十郎さんの八重垣姫は、本当にエキサイティングだった。危機が迫っていることを勝頼に知らせたいのに、あとを追っても間に合いそうにない。「アア、翅が欲しい、羽が欲しい」と現代と同じ言葉で叫ぶのも、ぐっとくる。そこで凍った湖を渡るため諏訪明神の力を借りる、というわけだ。――白狐たちとともに宙に舞いシーンでは、勘十郎さん、左腕一本でぶんぶん振り回していましたね、「俺の八重垣姫」を。あれは文楽ならではで、香港映画のワイヤーアクションでも決して真似できない。 そんなすごい「奥庭狐火の段」なのだが、『本朝廿四孝』という物語全体の中でどういう意味を持つかというと、実は「大した意味のない場面」なのもまた文楽の面白さ。意味だけが重要ではないのだ。

後日、ある知人から「観に行ってとてもよかった。一緒に行った友だちは『文楽は初めてだったけど感動した。〈友の会〉に入会しようかな』と言っていた」と聞いた。「十種香の段」「奥庭狐火の段」が特によく利いたのではないだろうか。私自身がその二つの段で文楽にがっちり心を掴まれたせいか、ついそんな想像をしてしまう。
文楽というと『曾根崎心中』の知名度が非常に高く、『菅原伝授手習鑑』の「寺小屋の段」や『義経千本桜』の「道行初音旅」などが文楽入門として紹介されたりするが、私は『本朝廿四孝』の「十種香の段」「奥庭狐火の段」こそ、文楽ファンを作る最高のキラーコンテンツかもしれない、と考えている。 八重垣姫が喝采を浴びながら幕が引かれた後、私のまわりでは「よかったねぇ」と声がしていて、日本語が判らないお客さんたちも満足そうだった。

■有栖川 有栖(ありすがわ ありす)
小説家、推理作家。1959年生まれ。同志社大学法学部卒業。1989年『鮎川哲也と13の謎』の一冊、『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビュー。2003年『マレー鉄道の謎』で日本推理作家協会賞、2008年『女王国の城』で本格ミステリ大賞受賞。主な著書に、『学生アリス』シリーズ、『作家アリス』シリーズなどがある。有栖川有栖創作塾の塾長も務める。大阪府在住。

(2013年1月16日『団子売』『ひらかな盛衰記』『本朝廿四孝』観劇)