日本芸術文化振興会トップページ  > 国立文楽劇場  > 『菅原伝授手習鑑』と『色』

国立文楽劇場

『菅原伝授手習鑑』と『色』

下平 晃道

オープニングの『寿柱立万歳』は、結局、どの万歳曲に近かったのかな。

見る前にいろんな万歳のCDを聴いておいたのに、聞き覚えのあるフレーズが出てこなかったので、宝探しに失敗したような心持ち。ぼんやりしているうちに、次の『菅原伝授手習鑑』が始まってしまいました。(ちなみに、万歳と名のつく音源を集めて聴いてみたところ、「瞽女うたⅡ 高田瞽女篇」に入ってる三河万歳と、「日本の民俗音楽 語りもの1」の御殿万歳は、声やハーモニーが本当にかっこ良くて何度も聴いてるし、前回見た『寿式三番叟』の三味線で繰返されるフレーズは、やっぱり最高だと確認できて良かったです)

さて、『菅原伝授手習鑑』は、『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ人形浄瑠璃の三大名作と言われているのですが、観劇するのは今回が初めてです。語りや三味線や人形の動きだけでなく、舞台や人形の衣裳のように、装飾的な部分でも楽しませてくれる文楽。今回は目や耳で感じられる「色彩」に注目してみたいと思います。

この物語には背景として、平安時代の政治家・菅原道真(菅丞相)と、藤原時平との対立があります。本当はもっと長い物語なんですが、無理を承知で、文楽を映画に例えると「全5エピソードから成る長編映画のうち、エピソード3とエピソード4をやるよ」という感じで、長い物語の途中の場面を上演するので、前提が分かっていないと、最初は入っていき辛いかもしれません。でも、そういった映画が各エピソードだけ見ても面白いように、文楽も途中からだんだん関係性がわかってくると思います。(とはいえ、プログラムなどで、前もって少し知識を入れてから見る方がおすすめです)

上演されたのは佐太村に住む白太夫が菅丞相から預かる下屋敷にて、白太夫の三つ子の息子、梅王丸、松王丸、桜丸の兄弟を中心に起こる騒動を描いた三段目。そして、武部源蔵の開いている寺子屋を舞台にして、菅丞相の息子、菅秀才を守るために、身代わりとして自らの息子の命を差し出す、松王丸夫婦の心の葛藤を描いた四段目の後半です。

始まりの「茶筅酒の段」では、白太夫のいる下屋敷へ、桜丸の妻・八重が訪ねてきます。この建物や背景は黄土色で構成されているので、鮮やかな若草色の着付、その内には赤い棒衿(ぼうえり)をつけ、着付よりも若干明るい草色の蛇の目傘をさし、深い青紫色のふろしき包みを持った八重が下手から登場すると、色の対比から八重の存在がいっそう鮮やかに見えます。

後に、梅王丸の妻・春と、松王丸の妻・千代もやってきて、同じ若草色の着物をつけた三人の妻が揃い、白太夫の祝いの支度をします。ここでは色彩の豊かさが、楽しく調理する仕草と、その動きにあった軽やかな演奏とともに、仲の良い三人の関係を教えてくれます。

八重の登場シーンと三人の妻の着物の模様
 左)桜丸の妻、八重の登場シーンは、傘の緑色と、着物の若草色と、風呂敷の紫色が非常に鮮やか。
 右)三つ子の妻である千代、春、八重の三人の女性が着ている同じ若草色の着物です。松王丸、梅王丸、桜丸とそれぞれの夫の名に合わせて、松、梅、桜の柄が描かれています。

ここに、妻たちに遅れて到着するのが、三つ子のうちの二人、梅王丸と松王丸です。この二人は以前の仲違いを引きずっていて、現れた瞬間からネチネチと口喧嘩を始めます。互いに因縁をぶつけていると、次第に感情が高まり庭へ飛び出します。そして、梅王丸と松王丸は着ていた羽織を脱ぎ、下に着ている縫掛(ぬいかけ)姿で取っ組み合いの大げんかを始めるのですが、口喧嘩をしていた時には、互いに地味な色調の羽織だったのに、喧嘩の場面で見せる縫掛の色は、一転して鮮やかな色調へ変わります。人形の動きの大きさと対立する色彩の効果が合わさって、喧嘩の激しさを強調しているように見えます。

松王丸と梅王丸が喧嘩相撲をするシーン
 登場から口喧嘩の場面までは、地味な色の羽織を着て押えた色調ながらも、羽織を脱ぐと梅王丸は緋色の縫掛。対する松王丸は赤の反対色である白緑色の縫掛姿で迎え討ちます。赤と緑の着物の両人が、米俵を投げたり、庭の桜の木を折ったりと大暴れします。補色(反対色)を使うことで、対立する二人の意見違いを強調しているようです。

浄瑠璃の中の色彩

浄瑠璃の中でも、度々、色名や色を連想させる言葉が表れます。白太夫という名前からは70歳の長寿を祝われる老人の白髪を連想させ、色で人物像を浮きあがらせてくれます(それに人形の頭も白髪ですね)。また、菅原道真が詠んだとされている和歌にちなんだ、桜丸、梅王丸、松王丸の三つ子の名前からは、春をあらわす桜の薄く白に近いピンクや、梅の花の鮮やかな紅色、それから松は幹の茶色や、葉の渋みの深い緑色を思い浮かべることができます。

「梅王松王兄弟の、女房が来る道草も、女子の手業笠に摘み込み、蒲公英嫁菜、枸杞の垣根を目印に」と語られているように、先に述べた「茶筅酒の段」では、春と千代が下屋敷へやってくる道中で拾う蒲公英(たんぽぽ)からは、鮮やかで暖かな黄色を感じます。

また、松王丸と梅王丸の喧嘩の原因は、元を辿れば菅丞相と時平の対立にあり、(この段ではその理由は語られませんが)時平に仕えている松王丸と、菅丞相側の梅王丸・桜丸は主人たち同様、対立する立場になっています。桜と梅は春の花で、紅色を基調としているのに対して、松は緑色を基調としていて、冬になっても色が変わらない常用樹。このように名付けられた植物の色や性質で、それぞれの立場があらわされているようにも感じられます。

文楽の舞台は垂直と水平のラインの組合わせから成っていることが多く、有機的なラインは、舞台装置として少々お手軽にも見える木々などの植物がある程度で、とてもシンプルに作られています。舞台上では人形遣いが大勢動くので、余計な飾り付けはせず、機能性を高めているという理由があると思いますが、浄瑠璃から読み取ることのできるたくさんの色彩が有機的で柔らかな印象となり、鑑賞者の想像の中で重なり合うように考えられているのではないでしょうか。

ところで、色の話ではないのですけど、三段目の最後の「桜丸切腹の段」で展開される三つ子のひとりである桜丸が、菅丞相が太宰府へ流される原因を作ったと言って、自害してしまう事情や、後の「寺子屋の段」では、たった8歳の子供である小太郎が、菅丞相の子、菅秀才の身代わりとなり死ぬ場面があります。どちらも、命をも捧げる事が最高の義理立ての証と考えられたことから起こる悲劇で、見ているこちらも心が揺さぶられる見せ場です。しかし、所々で、なにもそこまで忠誠を尽くさなくても……と、どうしても考えてしまうのでした。

桜丸の切腹の場面
 三段目のクライマックスは桜丸の切腹の場面で、父・白太夫は桜丸の妻・八重とともに桜丸の運命を嘆き悲しむのです。ここでは白太夫の色彩に変化があります。いつの間にか捲られた右腕の着物の袖は黄色で、涙ながらに撞木を打ち鳴らし介錯する、この悲しい場面を静かに飾りたてています。

切腹する桜丸と、最後の「寺子屋の段」で菅秀才の身代わりとなって死ぬ小太郎のふたりは、白と黒を基調にした着物を着て出てくるので、登場した瞬間に不穏な印象を与えます。小太郎は、こちらも同じように黒い着付を着た母(松王丸の妻・千代)に連れられて出てきます。松王丸は我が子小太郎の死と、兄弟桜丸の死を重ね、心情を吐露します。

「利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで親に代はつて恩送り。お役に立つは孝行者、手柄者と思ふから、思ひ出だすは桜丸、ご恩送らず先立ちし、さぞや草葉の蔭よりも羨ましかろけなりかろ。倅がことを思ふにつけ、思ひ出さるる出さるる」

桜丸と小太郎
 ともに黒い衣裳で登場する桜丸と小太郎。同じく死という運命を辿ることを視覚的にも暗示しています。

「寺子屋の段」における松王丸の衣裳変え
 左)「寺子屋の段」では、松王丸は二度着替えています。源蔵の寺子屋へ検分役としてやって来る、最初は黒地に松の柄の入った豪華な長羽織を着ています。この長羽織の柄は、今回のプログラムの表紙になっていますが、刺繍の密度が高く、粒が揃っていてとても綺麗な様子が見られます。
 中)菅秀才(実は自分の息子小太郎)の首を受け取って時平の元へ送ると、一度、舞台から立ち去り、再び寺子屋へ戻ってきます。その時にはまた別の黒い物先羽織を着ています。
 右)最後に小太郎の亡骸を駕籠にのせて野辺送りする時には、一時、舞台中央ののれんから奥へ入り、千代とともに白装束になって出てきます。

三つ子の中で、ただ一人、主家と家との板挟みとなって苦しむ松王丸。しかし、松は常陽樹で冬になっても色が変わりません。松王丸の菅丞相への忠誠心は、松の葉の性質と同じように変わらなかったことが、ここで明らかとなります。しかも、松の葉の形が二又に分かれていることも、松王丸が負わされた複雑な立場のように考えられて、妄想がふくらみます。

さて、ここまで『菅原伝授手習鑑』で見られた色彩について想像をめぐらせてみましたが、実は今回、一番印象に残ったのは、幕間のすぐ後、「寺子屋の段」の始まる前に行われた六代豊竹呂太夫襲名披露口上でした。こういう場に立ち会えるのは、見る方にとっても幸せなことです。

紫基調に統一された口上の舞台はひときわ鮮やかでいて、とても和やかな雰囲気を醸し出していたのは、六代目のお人柄なのでしょうか。口上の後の「寺子屋の段」では、情感にあふれた語りを十分に堪能させていただきました。

■下平 晃道(しもだいら あきのり)
イラストレーター、美術作家。1973年生まれ。東京造形大学彫刻学科卒業。2002年よりフリーランスのイラストレーター(Murgraph または下平晃道)として活動を始める。以後、広告、雑誌、装画、ウェブサイト、ミュージシャンやファッションブランドとコラボレーションした商品等のイラストレーション、ライブドローイングなどの仕事を手がけている。京都市在住。

(2017年4月11日第一部『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』「襲名披露口上」、21日第二部『楠昔噺』『曾根崎心中』観劇)