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国立文楽劇場

夜の光

やぶくみこ

今回はずっと観たかった「曽根崎心中」を鑑賞できた。
鑑賞した後、脚本中に散りばめられていた印象的な光や音の風景とを思い出す。
4月はいろんな人にとって生活環境が変わったり、仕事が変わったりする人もいる。冬から春になって、それまで茶色く、灰色だった景色が一気にピンクになったり、緑になったりする。冬の間に眠っていた五感も春を境により敏感になるような気がする(それは花粉症のせいかもしれないけれど)。4月はこの瞬間のために毎年生きているのではないかと思うくらい大きな変化の月で、1部を観に行った頃はまだ桜が満開で、電車で大阪に向かう間、桜の景色がきれいだ。この並木も実は桜だったのか、と殺風景に見えていた各駅の景色も桜が満開でほんとうにきれいだった。2部を観に行く頃は初夏の景色になっていた。どこも新緑がきれいだったし、どこか浮足立っていた雰囲気も少し落ち着いたようにもみえる。たったの2週間ほどでこれほど景色が変わってしまう月は4月だけだろう。それは今回の文楽公演の第一部と第二部の舞台上の風景の変化ともきっとつながっていた。

鑑賞に行ってしばらく経ったある日に、家にあるポストカードの整理をしていた。物持ちの良い私が高校生の時の鑑賞会のときに購入したらしい「曽根崎心中」のポストカードとそのときのチケットの半券が出てきた。
でもその時は「曽根崎心中」を見た覚えがない。充実のアーカイブのページを見たらその時に見た演目は「釣女」と「傾城阿波の鳴門」十郎兵衛住家の段と書いてある。高校生の時にはじめて文楽を鑑賞したのだが、途中の人形の解説、三味線のお話がとてもおもしろかった。
人形も楽器もそこにあるだけではただの物質だけれど、技と知恵と呼吸で生き物のようになる。そして物語の中を生きる人間の姿があり、それは人形であるがゆえに感情移入しやすいのかもしれない。物質でしかないものに血が通っていくような感覚にとても興奮したのを思い出した。こういう初めての時の感動は、音楽を続けていく時に初心に還れる大事な原点でもあると、最近より思うようになった。そこにあると忘れてしまいがちだけれど、特に伝統と言われているものには、先人から繋げてきた途方もない時間の凝縮と技術が詰まっている。細部に神が宿るのだ。

「曽根崎心中」は天満屋お初の後ろ姿からはじまる。少なくとも、わたしの中ではそこからはじまっている。窓の縁に腰掛けて外を眺める様子がとても印象に残っている。芯の強い、恋する19歳の女性の姿。
徳兵衛から金をだまし取った九平次の視線はだいたい話す相手の顔はみていない。少なくとも目は見ていないように思う。嘘をついたり、なにかよからぬことをしている人は視線が合わないのだ。語りでは徳兵衛が髪も解かれ帯も解けとあるが、実際の姿はそこまで乱れていない。外見よりも内面の強さを表しているからだと思っている。
徳兵衛を縁側の下で隠しているお初の姿。煙草を吸い付けながら、誰に話すでもなく死の覚悟を語る彼女の様子は観客からは全てが見えているけれど、九平次からはお初のあの雄弁な背中が見えていたことだろう。その姿はこどもを守る母の姿のようにもみえてくるし、こんなお初だから徳兵衛は好きになったんだろう、と想像ができる。この二人にとって、今このときに今生の別れを決断しなければいけない瞬間がいきなり訪れ、それは夜明けには終わってしまうという。いのちの時間の終点が突如見えてしまう。
暗闇の中の五感の描写。カチカチと火打石を打つ音にまぎれて、戸口を開けて出て行く様子。
三味線の音も逸る。夜の森の場面になる。
真っ暗闇の中のかすかな光の描写と、音の風景。
天の川と女夫星と北斗七星。川には蛍の光。男女の強い恋心と運命と、儚い命の描写。白装束が舞台上に浮かび上がる姿は文楽の他の作品でもよく見かける。それぞれに人の無念と覚悟がある。
でもそれは人形なのだ。死んだあとにただの抜け殻になる瞬間は、生の人間が演じる死を観るよりも絶望感がある。ただの魂の入れ物に過ぎなかったのか、と思う。

話はかわるが、六代 豊竹呂太夫の襲名口上も印象的だった。口上というものを初めて拝見した。口上はもっと堅いのかと思ったら、みなさんの愛情に満ちた時間だった。作品の重みを伝えていく芸術家の固さと柔らかさ。文楽劇場からほど近いところにある、大阪の青いネオンと赤い提灯の景色を思い浮かべる。

■やぶくみこ
音楽家、作曲家。1982年岸和田市生まれ。桜美林大学で音響を、文化庁在外研修員としてヨーク大学大学院で共同作曲を、インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸大ジョグジャカルタ校にてガムランを学ぶ。ジャワガムランや打楽器を中心に様々な楽器を用い、楽器の本来持つ響きや音色、演奏する空間を生かした作品を提示。日本国内外で演劇、ダンス、絵画など様々なアーティストとのコラボレーション多数。京都で即興、共同作曲をベースにしたガムラングループ“スカルグンディス”を主宰。2013年より「瓦の音楽」プロジェクトを監修。京都在住。

(2017年4月14日第一部『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』「襲名披露口上」、27日第二部『楠昔噺』『曾根崎心中』観劇)