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国立文楽劇場

初春文楽公演 寿式三番叟を観て

下平 晃道

前から精霊というものに興味があり、会う人、会う人にそんな話ばかりをしていた時期がありました。そんな僕にある人が「精霊に興味があるなら、きっと能を見たら面白いですよ」と勧めてくれました。それからほどなく迎えたお正月に、僕が初めて観た能の演目が「翁」でした。

まあ、実のところ精霊のことはよくわからなかったわけですが、今回の初春文楽公演に『寿式三番叟』がかかると聞いて、あの時の記憶が小さく頭をもたげたのです。というのも、この『寿式三番叟』が能の「翁」を移したものと知っていたからで、「もしかしたら精霊に会えるかもしれないな」と考えたのです。

翁、千歳、三番叟
 『寿式三番叟』は能楽の「翁」を義太夫節に移したもので、舞踏的な作品に分類されている。特に『寿式三番叟』はより儀式性が高く、お正月のように、おめでたいときに「天下泰平」や「長久円満」を祈り、神さまに向けて舞い歌われます。

この演目に登場するのは、翁、千歳、三番叟(二人組)の四人。先頭をきって現れるのが千歳。彼は黒い箱を大事に手に持っているのだけど、この箱の中に翁の面が入っているのだ。ほどなく、壮麗な白金色の着物の男(まだ面をつけていない翁)が現れ、さらに黒と金と赤を強い3色をベースとした着物に、背の高い帽子をつけた、派手な二人組みの男が入ってきます。それが三番叟。

ひな壇
 人形の背後には、ひな壇が組まれていて、前段には三味線、少し高くなった後段には太夫がそれぞれ9人ずつ並んでいた。普段は上手に「床」と呼ばれる、演奏のための場所が設けられているので、太夫と三味線が客席に正対している形は初めて観ましたが、これを見ただけで、すでに華やかで縁起の良い雰囲気です。

『寿式三番叟』の構成は、厳かで緊張感のある静かな前半と、軽やかで楽しく賑やかな後半の二つに別れている。千歳と翁の舞があり、面をつけた翁が舞う場面が前半の山です。

「千秋万歳、喜びの舞なれば、ひと舞い舞はう、万歳楽」
「万歳楽」
「万歳楽」
「万歳楽」
長久円満、息災延命、今日のご祈祷なり

「ま~~~ん~~~ざ~~~い~~~ら~~~く~~~」と、ゆっくりと発声される譜の最後に、翁は右手に持った扇を顔の前に置き、同時に上から、左の袖で頭を包み込むような動きをして、ぴたりと動きをとめる。金色の地に、影向の松、鶴、亀、波の描かれた豪華な柄の扇と、白地に金糸で施された格式の高い着物が画角の中にぴたりと収まって美しい、初春文楽公演のポスターにもなっている場面だ。これは翁の面をより強調するような型をとっている。

翁の舞
 平均寿命の短い時代、翁(老人)は強い霊力を顕すものであった。翁の面には、長寿という力に対する尊敬と畏れがあったように思われます。ちなみにここで謡われている万歳楽。「万歳」とは長い時間、「楽」は喜びや豊かさのこと。つまり永遠の喜びを祈っているのでしょう。

そして後半では、二人組の三番叟が前面に出てきて、三味線と譜と太鼓に合わせた軽やかな舞を披露してくれます。文楽の人形は、一体を三人で操るのですが、同じ形をとりながら舞う二体の動きがぴたりとあっている。自然に見えているけど、これだけ動きを合わせられるのは奇跡だと思います。人間が普通に踊るのだって難しいのに。

三番叟の舞
 まるで魂が入っているかのように生き生きと動く人形。考えてみたら、ここに精霊が宿っているみたいなところありますね。途中から、千歳に鈴を渡され、鈴を持って、シャリンシャリンと鳴らしながら舞う二人。二人は代わる代わる、演奏者と観客を煽ります。もっと音を鳴らせ、もっと楽しめと。

三番叟の二人のうちの片方は、途中で疲れた様子を見せて中央から退き、舞をサボろうとする。それをもう一方が、お前ばかり勝手に休むなと、再び舞台の中央へと戻すやりとりが繰り返されます。片方がサボっている時、三味線の音が小さくなる演出も手伝って、会場に笑いを誘っていました。

その軽妙な小気味良い動きで、笑いをふりまきながら世の繁栄を祈る三番叟。そこには前半の厳かで神に捧げる祈りとは逆の方向へ延びた、人々へ向けた、賑やかさや微笑みのある祈りの姿を見たように思います。

万歳師
 休む方がボケで、もう片方はツッコミのようだと考えていたら、これと良く似た雰囲気のものを「新日本の放浪芸」というDVDで見たことを思い出しました。小沢昭一が廃れていく日本の放浪芸が観られなくなるのを危惧して、各地を巡り、当時まだ残っていた放浪芸を映像として収めたものです。そのオープニングを飾る、着物姿のふたり組みの万歳師の姿が、この三番叟の姿と重なりました。小沢昭一の解説によれば、正月に各家の玄関にやって来ては、そこで舞と演奏を披露する。ひとりは太夫と呼ばれ、手には扇を持ち、節をつけた祝い詞を唱える役。またもうひとりは才蔵と呼ばれ、小鼓を叩き滑稽な動きで人を笑わせる役となる。演芸として演じられていた万歳が、現在の「漫才」へと変化を遂げていったという話もあり、この三番叟で観られる舞も、現代へと繫がる同じ流れの中にあるのかなと想像を膨らませました。ちなみに4月公演では『寿柱立万歳』が上演されるようで、いまから楽しみです。

三味線は同じフレーズを繰返し奏でる。スピードが徐々に上がり、グルーブ感が増していく。三番叟の片方が休む度に、三味線の音が小さくなり、中央へ引き戻されると、脇から太鼓の低いビートが打ち鳴らされ、再び演奏のスピードが上がっていきます。もたらされる開放感と躍動感。演奏している三味線の方々の体が、ぐいぐいと揺れているように見えたのですが、もしかしたら、僕が座席で揺れていたのかもしれません。

■下平 晃道(しもだいら あきのり)
イラストレーター、美術作家。1973年生まれ。東京造形大学彫刻学科卒業。2002年よりフリーランスのイラストレーター(Murgraph または下平晃道)として活動を始める。以後、広告、雑誌、装画、ウェブサイト、ミュージシャンやファッションブランドとコラボレーションした商品等のイラストレーション、ライブドローイングなどの仕事を手がけている。京都市在住。

(2017年1月11日第一部『寿式三番叟』『奥州安達原』『本朝廿四孝』、1月25日第二部『染模様妹背門松』観劇)