文楽かんげき日誌

人形に生命が宿るとき

黒澤 はゆま

私事だが最近子供が生まれた。

育児が大変とは知っていたが、ここまで大変とは分かっていなかった。

昼夜構わず「おっぱい」「おむつ」「抱っこ」を要求して泣きわめく小さなモンスター。私の人生のなかで、ここまで強烈な他者が生活のなかに殴り込んできたことはいまだかつてない。

未熟な父親は、赤ん坊と、もともと強かったが、さらにパワーアップした母親の間でおろおろするばかりだが、それでも何というか、寝不足の頭のなかで「父」の回路が立ち上がってきたように思う。

映画やアニメを見ると、ついつい子供を目で追ってしまうのだ。

今回観劇した「艶容女舞衣」でも、半七と三勝の子供、お通に自然と目がいった。

お通は、大坂上塩町は酒屋茜屋の息子半七が、芸人の三勝といい仲になりこさえた子供だ。半七にはお園という貞淑な妻がいるので、いわば不倫の子供ということになる。しかも、半七は三勝をめぐって恋敵の今市善右衛門と争い殺害。追い詰められた半七と三勝は心中を決意し、お通は半七の実家に預けられると……生まれてまだ間もないのに、何か呪われたような子供である。

演目の主眼は、残された縁者たち、半兵衛夫妻、お園とその父宗岸の嘆きで、まだがんぜないお通は大人たちの間で無邪気に抱っこされているだけだが、その抱っこの仕方が、ちゃんとおしりを支えたしっかりしたものになっていることに、私の目は釘づけになった。

人形遣いの師匠によって、ふと差し添えられた半兵衛の手、そのわずかな所作によって、お通は木偶ではなく、安心してぐっすり寝入っている生身の子供になっていた。

細部に魂は宿るというのも月並みな表現だが、人形に魂が吹き込まれる決定的な瞬間を、そのささやかな、やさしい所作のなかに見たのだ。

それにしても、いつも不思議だ。なぜ私たちは人形に生命を感じるのだろうか。ただの観客の錯覚なのか。それとも、本当に人形のなかで魂が宿っているのか。

ここで、その謎を解くヒントとなるかもしれない人の言葉を紹介したい。己れが人形となって人形遣いの至芸を体験した人物だ。

大石順教尼こと、大石よねという女性で、両腕のない身体障碍者でありながら、口に筆を加えて数々の著作をものし、「日本のヘレンケラー」という異名もあった人だ。

1888年生まれの彼女は写真も残っているが匂うような美貌の持ち主で、かつて「妻吉」という名で、芸妓となるべく、修行に励んでいた。師匠は、大阪は堀江の御茶屋「山梅楼」の主人、中川萬次郎。萬次郎は妻吉の才能を認め養女にし、実子以上に可愛がっていたという。

ところが、日露戦争中の、1905年、大事件が起こる。萬次郎が妻あいが失踪したことをきっかけに心を病み発狂したのだ。楼内で刀を振るい、義母こまをはじめとするあいの親族4人と、妻吉にとっては姉弟子にあたる梅吉を殺害。妻吉も命は助かったものの、萬次郎によって両腕を切り落とされた。

こうして自分にはまったく責任のないことで、彼女は芸道の夢を絶たれたのだが、それで人生に絶望することなく、罪びととなった養父・師匠をゆるし、結婚・出産を経て、出家、仏の道に入り数多くの人を救うことになる……その人生はそのままで一幅の偉大な物語だが、今それを詳述する紙幅はない。興味のある方は、真田丸で話題の九度山に記念館があるので、訪ねてみるのもいいだろう。

で、妻吉は死刑囚として収攬中の萬次郎と面会した際、「お前の芸のことだけが心残り。どうか、三番叟だけは完成してほしい」と言われ、師の願いをかなえるために、切断された腕の先に、文楽の人形の腕を継ぎ、人形遣いの補助で踊ることを決意する。

こうして、妻吉は、人形遣い吉田文三・吉田栄三師匠の手さばきのもと、生き身の人形として、三番叟を踊ることになるのだが、はじめなかなか呼吸があわなかった。

妻吉はもともと踊りの名手と呼ばれた芸妓、無論吉田文三と吉田栄三も、時代を代表する人形遣いである。芸を知り抜いた者同士の組合せ、すんなりいくだろうと思ったのに、一体なぜ?人形遣いの師匠たちの顔には「困惑の色」が浮かび、妻吉自身の胸は「かきむしりたいほどのいらただしい思いでいっぱい」になったという。

悩み抜いた妻吉は、泣きぬれながら刑場の露と消えた師に問いかける。

「……お義父さん、お義父さん、どうしましょう」

それに対して、師の霊はこう答えたという。

「……名人といわれる人形使いを頼んで使ってもらっているなら、なぜ人形使いにまかせきれないのだ。人形遣いより己れが先になってやるから踊れないのだ。……己れの体を”デク”にして人形使いの自由になって踊れば必ず成功する」

この言葉に頓悟した妻吉は、自らの芸を捨て、人形遣いの手に身を預ける決意をする。

その結果、次の舞台から、三番叟は大当たり。観客からは「降るような拍手」を受け、評判を聞いた初代中村鴈治郎も観劇したという。

人形遣いの吉田文三師匠も「大出来、大出来、よかったなあ」とほめそやし、妻吉は芸者としての人生に一つのけじめをつけることが出来た。

ここで面白いのは妻吉が芸が高調に達したときの境地を「自由に踊り」と言っていることである。

「身も心も人形使いにまかせて、なすままに、手の動くがまま」という状態でありながら、「自由」を感じたというのは興味深い。

我を徹底的に捨て、人形遣いの手さばきをただ受け入れる器となったことで、妻吉の身にはまた別の魂が宿ったのだろうか。だとしたら人形に命を感じるのも観衆の錯覚ではなく、人形と人形遣いの至芸が出会うことで、本当にそのデクの身の内に生命の炎が燃えているのかもしれない。

ちなみに、妻吉は初め自分用に新調した木彫りの腕を継いだのだがどうしてもあわず、ためしに使い古した『艶容女舞衣』のお園の腕をつけたところ不思議にしっくり来たという。オカルトチックな話になるが、何度も舞台に出た人形には、付喪神ではないが「もの」が憑くということだったら面白い。

今回の『艶容女舞衣』で見た、お通という小さな生命。

その生命を、蝋燭のか細い炎を手で囲うように、囲む半兵衛はじめとする大人の人形たちの真摯な姿からは、お通の行く末にだけは希望のようなものが感じられた。

心中という悲惨なドラマをよそに、安心しきって大人の手に身をゆだねるお通。

身の内で燃える炎が心ない風によって吹き消されることなく、その将来が幸多いものであれかしと、我が子の姿も重ねながら、願わずにはいられないかん劇となった。

参考文献:『無手の法悦』(大石順教著、春秋社)

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2016年11月5日第二部『増補忠臣蔵』、『艶容女舞衣』、『勧進帳』観劇)