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国立文楽劇場

弁慶、花道を翔ける/錦秋公演第2部を観て

三咲 光郎

錦秋公演初日。国立文楽劇場へと歩く道に、ようやく秋らしい風が吹いています。北風で、少し肌寒い。大阪市は18℃。3日前は25℃越えの真夏日だったのですが。冬が急ぎ足でやって来たかと高い晴天を見上げます。
錦秋公演第2部は、文楽の「ええとこどり」です。 忠臣蔵に、 「 今頃は半七様、どこにどうしてござらうぞ。 」
で有名な世話物に、ご存じ弁慶の勧進帳。 暖かな場内に入って、先ず驚いたのが、舞台から延びる立派な花道です。文楽では初めて見ました。勧進帳で使われるということで、今回も楽しい舞台の予感がします。

初めの演目は『増補忠臣蔵』
年末が近づいているので良いタイミングですね。「増補」と付いているのは、今ふうにいえば「外伝」、「サイド・ストーリー」でしょうか。大星由良助は出てきませんが、吉良邸の図面が絡んで、討入りにつながる重要なエピソードとなっています。 忠臣蔵と聞くと、江戸城・松の廊下の「殿中でござる」を思い出します。吉良上野介に斬りかかった浅野内匠頭を羽交い絞めにしてそのセリフを言った人をご存じですか? 梶川与惣兵衛(よそべえ)という旗本で、たまたま刃傷の場に居合わせたために、その後の人生が変わってしまったそうです。 この人をモデルにした加古川本蔵が『増補忠臣蔵』の主人公。主君の勘気をこうむって成敗されようとしています。実際の梶川与惣兵衛は、吉良を助けた人物として当時世間から批判されたそうですが、本蔵は、主君のために汚名を被ることも辞さない忠臣として描かれています。重厚で渋いオジサンです。一方の主君・桃井若狭之助は、若くて聡明。立居振舞いが洒脱で、力まず、洗練されている。そして何より、本蔵の忠義を良く理解しているのです。二人とも、かっこいい。本心を胸に秘めての二人のやりとりがまたかっこいい。お互いの思いが明らかになっていく場面を、豊竹咲太夫さんの語りで堪能しました。 若狭之助の妹・三千歳姫の可憐で芯の強い姿もいいですね。人形の吉田一輔さんは、『妹背山婦女庭訓』の采女や『国性爺合戦』の女房小むつを遣っていました。初心者リピーターの私も、何度か劇場に来るうちに、太夫、三味線、人形の方々が、「今回はここで出ているな」と、そういうライブの楽しみ方ができるようになってきました。

次の演目は『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』
市井の心中事件に材を採った世話物です。「酒屋の段」は道行直前の場面で、主人公の家族の悲しみと結びつきが描かれています。深い人情にしみじみと泣けました。主人公の両親と、嫁のお園、その父。お園は、夫が外の女と子までなして帰ってこないので、怒った父に実家へ連れ戻されていたのですが、その夜、父に伴われて婚家に戻ってきます。 「 誤りは詫びねばならぬと、年寄の面押し拭うて来ました。……今迄の通り嫁ぢやと思うて下され。 」
と頭を下げる父に、義父は覆水盆に返らずの例を出して、 「 早う連れて去なしやれ 」
取りつくシマもありません。しかしその義父が勘当したはずのせがれの罪を引き受けようとしていることがわかったところから、それぞれの本心がわかってきて……。それにしても、日本人はどうしてこうも本当の思いを胸に秘めるのでしょうか。感動します。 お園の姿が胸に迫ります。竹本津駒太夫さん、鶴澤寛治さん、桐竹勘十郎さんのクドキは、悲しい場面なのですが、美しさに観ていて夢見心地になります。お園の息遣いまでもが聞こえる様式美、とでもいえばいいのでしょうか。

ここで30分の休憩です。2階売店で柿の葉寿司を買ってロビーでいただきます。ホットコーヒーを飲みながら、パンフレットで次の『勧進帳』の予習を。能や歌舞伎で有名な演目ですが、人形浄瑠璃に移されたのは明治時代。昭和初期に振付けや花道の使用などが工夫されて現在の原型ができた、とあります。ハハアそうなんだ、文楽は、前回のモリエールの翻案(『金壺親父恋達引』)もそうですが、伝統を守りつつも、時代に合わせて工夫と進化を続けているんだ。だから今観ても違和感なくおもしろいんだ、とうなずけました。

『勧進帳』
能、歌舞伎の匂いも少し残しながら、これぞザ・文楽、という醍醐味です。義経一行は無事に関所を通ることができるか。おなじみの緊迫した場面がテンポ良くつながっていきます。竹本千歳太夫さんの武蔵坊弁慶と豊竹咲甫太夫さんの富樫之介正広の山伏問答は大迫力。弁慶の大音声に圧倒されっぱなしでした。 そして、待ってました、花道での弁慶の飛六方。吉田玉男さんの弁慶は、豪胆、かつ繊細。複雑な所作を、やっ、と裂帛の気迫をみなぎらせて遣い、花道を駆け抜けていきました。

通し狂言がコース料理なら、今回の「ええとこどり」の3作はシェフお薦めのアラカルトのディナー。美味、美酒の余韻にひたって夜の街に出ました。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2016年10月29日『増補忠臣蔵』、『艶容女舞衣』、『勧進帳』観劇)