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国立文楽劇場

人形遣いのジャンプ

黒澤 はゆま

いつになるかは分からないが「近松門左衛門の小説を書こうかな」なんて大それたことを考えて、十七世紀後半の四条河原や道頓堀で行われていた芸能興行に関する資料を集めている。

当り前のことだが近松、そして彼の盟友だった竹本義太夫は偉大な人達だ。彼らはそれまで神仏の縁起譚を語るのが主だった人形浄瑠璃を、人間の内面の葛藤を描くドラマにまで昇華させた。

近松と義太夫が文楽に与えた影響は、彼らが登場するまでを古浄瑠璃、それ以後を当流浄瑠璃と呼ぶほどに大きい。

それは、近松の脚本家としての天才、義太夫の奇跡のような表現力だけによるものではなく、四条河原や道頓堀などの悪所の勃興、平和な時代が続くことによる庶民(特に町人)の富の蓄積、客の物語に対する需要の変化など、様々な要素が重なって生まれた奇跡だったのだろう。

無論、人形浄瑠璃が太夫、三味線、人形の三要素で成り立つ芸能である以上、彼らの革命を支える三味線や人形遣いの人々もいたはずである。だが、三味線は置いておいて、この時代の人形遣いの人がどういった人だったか、いくら史料をたぐっても、その姿がなかなか見えてこない。大体名前もよく分からないことが多い。

以下の議論は、今の人形遣いの方々のあり方とは何の関係もない。というか、私の白昼夢であることをまずお断りしておくが、誤解を恐れず言えば、近松や義太夫のキャラクタに、同時代の井原西鶴や、少し後の平賀源内や杉田玄白といった人々と同様の近世的明瞭さを感じるのに対し、人形遣いはまだ古代や中世の霧の奥にいる感じがする。

この印象は前回「原始の水たまりの影と奥州安達原」でも引用させてもらった人形作家「四谷シモン」さんの下記の言葉とも一致するようだ。

「そういうもの一切が人形の世界なんです。昔からの宗教的、呪術的な世界から逃れることは出来ません……人形は宗教ですね、神様とつながっているんです」

実際、当時人形遣いの主たる母体の遠因となったのは、西宮神社の縁起、御利益を小さな人形を使って宣伝するえびすかきという芸能集団だったらしい。

さて、今回観劇した「一谷嫩軍記」。

「菅原伝授手習鑑」と同じく、主への忠義のために、自分の子供を身代わりとして差し出す豪傑の葛藤というのがテーマとなっている。熊谷直実が敦盛の首として携えてきたのは、実は彼自身の子供の首なのだが、謡も三味線も口をぬぐって嘘を語る。

「熊谷次郎直実、花の盛りの敦盛を討って無常を悟りしか、さすがに猛き武士も、ものの哀れを今ぞ知る……」

となれば、この時の熊谷の内面の葛藤を表現できるのは、実は人形しかいないのである。

で、内面というと、フロイトやユングを体験した私たちにとっては自明のようだが、定義すると、「それがあることを分かりながらもそれそのものを決して知ることができない」要は言動に現れない感情や思考をさす。

そして、この内面は、古代や中世の人々にとっては身近なものではなかった。少なくとも、それを表現する手立てはなく、もっと極端なことを言ってしまえば、過酷な動乱の世を生きる古代や中世の人々には内面など持つ余裕はなかった。あるのは、ただただ激情と行動ばかり。光秀が「敵は本能寺にあり」と言うとき、彼の心は信長への憎しみと謀反という恐ろしい行動への衝動だけで満たされていて、その他には何もない。

熊谷直実も、少なくとも「平家物語」で描かれる彼は、こうした裏打ちのない単純な自我の持ち主だったはずである。激しく怒り、激しく戦い、激しく悲しみ、激しく世を捨てる。感情と行動は直結して矛盾はない、インパーソナルな人格である。

だが、本劇中での彼の自我は主への忠義、子供を討った悲しみ、妻への配慮といった風に千々に乱れている。

こうした複雑な内面を持った自我は、平和な世、近世になって初めて出てくるものである。しかし、これを言葉で表現するのは、さらに西洋文学の洗礼を受けた、二葉亭四迷、夏目漱石などの日本近代文学の登場まで待たなくてはならなかった。

そのため、江戸時代、太夫の語る言葉によってあらわれない登場人物の意識、感情を表現するのは、本劇に留まらず、皆人形の務めだった。内面という近世になって初めてあらわれたものを、古代・中世の影を引きずる人形という形式で表現しなくてはならない、アンバランスさ、危うさ。

ここに、人形浄瑠璃の面白さの秘密の一つがあるように思う。

そして、それは抽象化された絵で、大人の鑑賞にたるドラマを描く、アニメや漫画の魅力と一脈通ずるものがあるのではないだろうか。

今回、熊谷直実の主遣いは、襲名披露をなされた吉田玉男師匠。師匠の操る熊谷は豪奢な男の色気をぷんぷん振りまくと共に、妻をちらとみるときの眼差し、太夫の語りとの一瞬の拍のずれ、そうした細部に確かに複雑で奥行を持った内面を感じることが出来た。

三百年前、無名の人形遣い達が飛び越えなくてはならなかった距離の途方もなさを思うと共に、吉田玉男師匠の四十八年の錬磨とたどりついた芸の高みを寿ぐ。

吉田玉男師匠、ご襲名本当におめでとうございます!

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2015年4月25日『靱猿』『口上』『一谷嫰軍記』『卅三間堂棟由来』観劇)