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国立文楽劇場

迸る激情に圧倒された

玄月

吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露口上は、ある意味で意表を突かれた。普段は耳にすることのない三味線方と人形遣いの声が聞けたのだが、鶴澤寬治さんと桐竹勘十郎さんの声は、ごくごく普通だった。当たり前といえば当たり前なのだが、それをおもしろく感じたのは、司会をした竹本千歳大夫さんと、三人のうち最初に口上した豊竹嶋大夫さんの語り口が、浄瑠璃語りの延長にあったからだ。 文楽の舞台の上で普通にしゃべられると、どこかおかしく感じるのは、普段まずありえないことだからだろう。日常における非日常の逆は、またおなじことである。 大夫さんたちは日常生活でどのようにしゃべっているのだろうと思った。長年の稽古で身についた節回しと地を震わせるような低音を、家で四六時中やられたら、家族はたまったものではないのかもしれない。 ところで、主役の吉田玉男さんは、口上を述べなかった。歌舞伎などの襲名披露では主役も述べるので、文楽にはそういったしきたりがあるのだろうか。

吉田玉男さんと桐竹勘十郎さんの共著「文楽へようこそ」で、玉男さんは文楽の中で一番好きな演目に、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助をあげている。 私は平成24年、吉田玉女(当時)演じる大星由良助を見ている。いまでも目に浮かぶのは、城明渡しの段。無言で(浄瑠璃語りがない)城から遠ざかる由良助。提灯の家紋を切り取って懐紙にはさみ、主君が切腹した刀を取り出し、大見得を切る。最後にひと言。 「はぁぁったと、にらんでぇぇぇぇ!」 たったこれだけの場面に十分近くを費やしているのだが、由良助の無念と決意のすさまじさに、一瞬も目が離せなかった。 玉男さんが二番目に好きな演目にあげているのが、この日演じられた「一谷嫩軍記」の熊谷直実である。 「熊谷陣屋の段」での熊谷直実の立ち居振る舞いには、目を瞠った。熊谷直実の人形が実際以上に大きく見えただけではない。人形一体分以上の空間をも、圧倒しているように感じた。特に、首桶を持つ直実が首を見たがる女ふたりを制する場面が、際だっていた。 首桶には平敦盛の首が入っていることになっているが、実は「義」のために刎ねた我が子の首であり、自分のしたことが正しかったのかどうか義経に首実検してもらって確かめるというところに、居合わせたのが敦盛の母・藤の局と、直実の妻・相模である。藤の局は我が子・敦盛の首見たさ。相模は藤の局の心中察して首を見せてやれと夫に迫る。まさか、そこに我が子の首が入っているとも知らずに。 首実検を終えるまで、このふたりに首を見せるわけにいかない。直実はまとわりついてくるふたりの女を容赦なく撥ねつける。 あまりにも重い「義」と「情」に押し潰されても仕方ないような場面だが、直実は見事に自らを律し、しかし押し殺した激情はどうしようもなく迸って周囲の空間を緊張させ、立っているだけで舞台全体を、そして観客を圧倒するのだ。私はもう、呆然と見とれてしまった。もちろんそれは、人形だけの手柄ではない。集中しすぎてほとんど意識にのぼっていない、浄瑠璃語りと三味線があってこそ。逆にいうと、意識しなくなるほど、人形と浄瑠璃語りと三味線が渾然一体となっているのだ。 文楽の楽しみは、そんなクライマックスばかりではない。小さな場面にも洗練された表現がある。悪役の梶原平次景高が登場するとき(悪役は赤ら顔の場合が多いのでわかりやすい)、「我慢に募る横柄顔 挨拶もなく座に付けば」と紹介される。「我慢に募る横柄顔」とは、またなんとも端的であり、ユーモアとセンスがある言い回しだなあと、文章を書く者としてひどく感心させられた。

■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。

(2015年4月6日『絵本太功記』『天網島時雨炬燵』『伊達娘恋緋鹿子』、
4月20日『靱猿』『口上』『一谷嫰軍記』『卅三間堂棟由来』観劇)