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国立文楽劇場

本能寺の女たち/絵本太功記 夕顔棚の段・尼ヶ崎の段

三咲 光郎

大学の卒業論文が『近松世話浄瑠璃の世界』でした。何がきっかけで近松に惹かれたのか、今となっては忘却のかなたですが、近松の作品群を熱心に読んでいました。三十年以上前のことです。しかし読み進めるほどに気になってもきました。いくら活字を読み込んでも、実際の舞台を観ないと意味がないのではないかと。当時はまだ国立文楽劇場がなくて、道頓堀の朝日座で文楽を上演していました。行ってみると、客層は年輩の方が多く、私のような若者はあまり見当たりません。薄暗い客席で、おばあさんが一人で膝の上に弁当を広げて、おちょぼぐちでおかずをついばみながら観劇し、悲しい場面では鼻水を啜ってもらい泣きしている。舞台の上の葛藤を見て身につまされることがお家であるのだろうか、と気になったりしました。昭和の庶民の娯楽の場。そんな風情が味わい深い朝日座でした。

国立文楽劇場ができてからも何度か足を運びましたが、今回は久しぶりの文楽鑑賞です。平成の文楽なう、はどうなんだろう。舞台を観ないとわからない、と楽しみに出掛けました。

『絵本太功記』の夕顔棚の段と尼ヶ崎の段。

本能寺で織田信長を襲った明智光秀と、羽柴秀吉の対決のドラマです。舞台では、尾田春長、武智光秀、真柴久吉、と名前を変えてはいますが、かえって虚実入り混じった戦国絵巻が繰り広げられて面白い。旅の僧に化けた久吉が光秀の母の隠居所に単身潜入したり、ラストでは、両雄が対峙して大見得を切り、

「山崎にて勝負の雌雄を決すべし」
「首を洗つて観念せよ」

と睨み合います。圧巻。豪快。

とはいっても、「オトコ祭」なだけの活劇ではありません。夕顔棚の段と尼ヶ崎の段は、光秀の母さつき、妻の操、息子の許婚の初菊、の三人が中心となって展開する、女性目線の人間ドラマなのです。中でも、ドラマ全体を支配しているのは、老母さつき。我が子が主君を討って逆賊となったことを許せず、光秀の城を出て尼ヶ崎の田舎家に隠れ住んでいます。そこへ嫁が見舞いに来ると、

「戦場へ赴く夫を打ち捨てて…姑に孝行尽くすは道が違ふ。城に留まつて留守を守るが肝要ぞや」

グサリと言い放つなかなかムズカシイ婆様です。いつの世も、こういう怖い、いや、強い姑さんが一家を支配しているんですね。舞台はこの一徹な老賢母の意思、意向で動いていきます。

嫁の操が来たのは、実は、光秀と操の息子十次郎が初陣に出る許しを、さつきにもらおうとしてのことでした。さつきにすれば、かわいい孫の初陣を祝いたい、けれども逆賊の子として討死させるのは忍びない、そんな葛藤に苦しむのです。矛盾する感情の板挟みになってしまうのが文楽の登場人物たち。さつきの頑固な顔に隠された苦渋に胸を打たれます。

若武者十次郎もまた葛藤を抱いて登場します。初陣はそのまま討死につながるはず。その覚悟はあるが、母、祖母に先立つ不幸を詫びる気持ちや、後に残す許婚を不憫に思う心は消えません。「孝と恋との思いの海」に溺れて涙を流すのですが、この若武者が、実に純情で真っすぐでして、観る者の涙を誘うのです。見た目も、すっきりとしていて気高くて初々しくて華がある。色白のイケメン。好感度が高いですね。

ドラマは、老女の心の葛藤が後ろから押し、若者の葛藤が前からひっぱって、クライマックスへと突き進んでいきます。そして、というか、だから、訪れるダブルの悲劇。女たちの見た本能寺以降の戦いは女たちの運命をも巻き込んでいくのです。女性の目線と、豪快な男たちのスペクタクル。両方同時に楽しめる作品です。

今回久しぶりの文楽劇場。日曜日の客席はほぼ満席でした。老若男女が詰めかけて盛況ですが、女性客のほうが多いと見えるのは、やはり文楽には女性の視点がしっかり存在しているからなのでしょう。ちなみに、朝日座の時代にも『絵本太功記』の同じ段を観たことがあります。その時は、五代目吉田文吾襲名披露がありました。今回は、二代目吉田玉男襲名披露があり、この『絵本太功記』はおめでたいことのある時に上がる演目なのかなあと思ったりしました。

文楽は、語りと三味線、人形の所作、それに客席の空気が一体となったライブ感覚抜群のエンターテイメントな舞台芸術です。劇場に来てこそわかる文楽なう。圧倒されました。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2015年4月19日『絵本太功記』『天網島時雨炬燵』『伊達娘恋緋鹿子』観劇)