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国立文楽劇場

『女殺油地獄』

後藤 正文

大夫の声と三味線の響き、人形の動き、それらを分離させることなく楽しむことができたらなぁと、文楽初心者の僕は終演後にいつも思う。 自分の場合はどうしても、まずはストーリーを理解したいという気持ちが先に立って、言葉に気を取られる。語り口が古典的な日本語であることも作用して、脳内の言語中枢ばかりが活発になってしまうのだ。あるいは、言語の難解さに着いて行けず、話の流れは一旦他所に置いて、ミュージシャンとして音を分析してみたり、無邪気に人形の動きに感動してみたり、舞台の上で様々な要素が噛み合う瞬間よりも、ディティールについて楽しみを見出すことで自分と文楽のチューニングをこれまで合わせて来たようにも感じる。そうやって複数のチャンネルを切り換えないと、僕は文楽を楽しめなかった。 そういった自分史的な文楽との接し方にも、なんだか明るい兆しを感じた演目が、今回の『女殺油地獄』だった。構えることなく、総合的に楽しむことができた。

ダメな男が堕落して行く様を描いた『女殺油地獄』は、時代設定を変えれば現代劇やテレビドラマにもなるような内容で、特殊な時代背景などを事前に調べなくても物語に入って行くことができた。もちろん、株仲間というような江戸時代の制度などを知っていると、理解が深まるのかもしれない。けれども、そういった理解度の濃淡を越えて飛び込んで来るエンタテインメント性があって、グイグイと引き込まれてしまった。 大夫の語りに絡む三味線は音数が少なく、それゆえに緊張感があった。音数の少なさは抑揚の演出にも役立っていた。僕が今までに観た演目の中でも、最も三味線の弦が弾かれた回数が少なかったはずだ。大夫の語りが前面に出て、それを支えるように、趣を増幅させるような音があり、そのミニマルさに美しさを感じた。 対して、人形はとてもダイナミックだった。主人公のやさぐれた雰囲気が見事に表されていて、時おりそういった部分が強調されることが笑いを生んでいた。何度か堪えきれずに吹き出してしまった。「豊島屋油店の段」の豪快な人形遣いは、誰もが心を持っていかれてしまうだろう。内容としては凄惨なシーンなのだけれども、おどろおどろしさだけが前面に出ないように演出されているところに面白みを感じた。 そして、このような、魅力的な要素のそれぞれに過度の注意を傾けることなく、物語に入って行くことができたのだった。肩肘を張らずに文楽という空間に馴染んで、笑ったり、憤ったり、はらはらしたり、どきどきしたり、そういう時間を過ごすことができた。それが僕にはとても嬉しかった。

国立文楽劇場からの帰り道、僕は友達を誘えば良かったと後悔した。恐らく、今回の『女殺油地獄』ならば、文楽に縁遠い友人や知人にも、入口としての案内になるのではないかと感じたからだ。もちろん、知れば知るほど深みがある文楽なのだろうけれども、僕のような初心者でも楽しめるような娯楽としての魅力がこの作品にはあって、伝わりやすいのではないかと考えたのだ。

『女殺油地獄』。伝統を受け継いで行くことと大衆的な面白みを持たせること。このふたつの志向が必ずしも相反するわけではないことが分かった、素晴らしい体験でした。

■後藤 正文(ごとう まさふみ)
ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のボーカル、ギター。同バンドの作詞、作曲の殆どを手がける。1976年生まれ。著書に『ゴッチ語録 GOTCH GO ROCK!』『ゴッチ語録 A to Z』がある。2012年最新アルバム『ランドマーク』を発売、2013年4月アナログレコードとデジタル配信にて『The Long Goodbye』をソロ名義で発表。現在、“未来を考える新聞”「The Future Times」編集長も務める(http://www.thefuturetimes.jp/(外部サイトにリンク))。静岡県出身。

(2014年7月30日『女殺油地獄』観劇)