文楽かんげき日誌

芸事の忘我

中沢 けい

「夫婦善哉」の作者、織田作之助はまちがいなく大阪を代表する作家であろう。大阪へ通い出してから織田作之助の作品やエッセイをぽつぽつと読んでいる。やはり土地の雰囲気を知っていると、作品を読む時の手ごたえが違う。その織田作之助が文楽について書いた文章がある。それが探してもなかなか見つからないのは我が家がごちゃごちゃにとり散らかっているためだ。とうとう探すのを諦め、記憶で書くことにする。間違っていたらごめんなさい。

織田作之助は、大阪人にとって金は合理的なものを通り越して、信仰の対象と言っても良いと述べたあとで、文楽にかかわる芸人というものは金のことを一切考えないから、大阪人の心を掴むのだというような趣旨のことを書いていた。さて、このふたつの理屈がどうつながるのか、手元に本がないから、困ってしまう。お正月の文楽公演「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」を楽しみながら、織田作之助の言ったことを思い出したのである。お金が信仰の対象である大阪人と、金というものを一切考慮に入れない文楽の技芸の間を、織田作之助はどのような言葉で結んでいたのか。本がないので想像するしかないのだが、それは琴、三味線、胡弓を使って詮議をするという「阿古屋琴責の段」の趣向とどこか繋がってはいるのではないかという気がしたのである。阿古屋が責められて琴、三味線、胡弓を奏でる場面は絢爛豪華で、夢の中にいるようであった。

歌舞伎の「阿古屋」は玉三郎で何度か見ている。玉三郎が琴、三味線、胡弓を引き分ける見事さに、客席は大喜びになる演目で、役者さんというのは、ただ演技ができるというのでなく技芸の腕も大したものだなあという感嘆が湧く演目だ。それが文楽となると、人形が琴、三味線、胡弓を次々と演奏してその技量を見せる聞かせるというわけではない。ところが、あの夢の中の感じは生身の役者よりも、かえって人形のほうがよく演じられるような感じがした。音楽の忘我の中へ入って行く時の無心を肉体のない人形はよく表している。人形に魂が入り、その魂はただ音楽に仕えるためにだけそこに存在しているかのような感じをなんと言ったらいいのだろう。人形を操る人形遣いさんが、人形の保護者、いや、守護神のように寄り添っている。肉体の熱、汗、それから呼吸、そういう一切のものがなければこその絢爛豪華な音楽の夢の中に誘われて行く「阿古屋」だった。

金というものは大阪人にとって信仰に近いという織田作之助の言葉が今の大阪人にどのくらい当てはまるものなのか、よく分らないところもある。けれども、かつての商都大阪の人々は金を信仰の対象としたくらいだから、逆に金に一切興味関心を持たない文楽に心惹かれるのであるというのが、織田作之助の言い分だったような、そんなふうに記憶している。金に関心がない人間というものは大阪人にとって想像もつかないような脅威だったのかもしれない。阿古屋は景清の居場所を白状しろと責められるのだが、もし、何か隠すことがあれば音に乱れが生じるはずだというわけで、琴、三味線、胡弓の三種の演奏を命じられるという筋を超えて、ただひたすら技芸に没頭する見事さ艶やかさを味わうのは、まことにお正月らしく心地よかった。技芸は世俗から魂をよその世界に連れ出してくれるのである。死ぬか生きるかの瀬戸際で、技芸に没頭して、世俗から離れるという阿古屋の心持は、決して生身の人間には演じてみせることができないものなのかもしれない。

それは個人の芸ではなくって、もっと大きな何かが含まれている。それをはっきりと言い当てられないのが、なんだか口惜しい。うまく言えないまま、文楽人形のふっくらとした白い頬が私の夢の中に浮かぶのである。

■中沢 けい(なかざわ けい)
作家。法政大学教授も務める。1959年生まれ。高校在学中に書いた「海を感じる時」で群像新人文学賞を受賞。1985年『水平線上にて』で野間文芸新人賞受賞。著書に『野ぶどうを摘む』『女ともだち』『豆畑の昼』『さくらささくれ』『楽隊のうさぎ』『うさぎとトランペット』など。千葉県出身。

(2014年1月6日第二部「面売り」「近頃河原の達引」「壇浦兜軍記」観劇)