六波羅の段/鬼界が島の段/
舟路の道行より敷名の浦の段
第一部『平家女護島』は、享保4年(1719)に初演された近松が67歳の時の作品です。今回上演する3作品の中で、もっとも晩年に書かれたものです。
この作品で描かれるのは、主人公・俊寛の“人間らしさ”です。悲しい出来事には涙を流し、嬉しいことがあれば心から喜ぶ。親子の契りを交わした千鳥のために、自らを犠牲にする深い情。それでも、島に一人残ったことへの抑えきれない絶望…。人として当たり前の感情を表に出し、自らの意思で島へ残ることを選ぶ俊寛は、それまでの『平家物語』や能『俊寛』の姿から、近松の手によってより“人間らしく”描かれました。
生玉社前の段/天満屋の段/
天神森の段
第二部『曾根崎心中』は、元禄16年(1703)、近松が51歳の時に書かれた近松“最初”の世話物です。
この作品は、同年に実際に起きた男女の心中事件を基に書かれた作品です。それまでの人形浄瑠璃は、歴史上の出来事を描く“時代物”が多く、身近な市井の人物を主人公に据えた“世話物”という画期的なジャンルを確立させた作品となりました。
単なるニュースでしかなかった一組の男女の心中事件を、事件からわずか1カ月という短い期間でお芝居へと練上げ、“恋人同士の情愛”を描くドラマへと変貌させた近松。それまで題材として取り上げられることの無かった町人の生活が、見事な悲劇に仕上げられ、観る人たちの心を掴みました。名文とも言える美しい詞章が、登場人物の心情を豊かに表現しています。
淡路町の段/封印切の段/
道行相合かご
第三部『冥途の飛脚』は、正徳元年(1711)に初演された作品です。近松が59歳の時に、こちらも実際にあった公金横領事件を題材に書かかれました。『曾根崎心中』から8年後に書かれたこの作品では、町人の日常生活を写実的に描き、忙しい飛脚屋の日常や、廓の様子など、当時の雰囲気をよく伝えています。その中で、青年・忠兵衛が恋を原因に金に身を滅ぼしていく様子を描くことで、“愛と理性の間で揺れる男の姿”をよりリアルに際立たせています。また、愛する人に身請けされる喜びから一転、絶望の淵に追い込まれる遊女梅川の哀れさもみどころのひとつです。